あの人が越えたらこちらの負け。
この人が越えたらこちらの勝ち。
この人もあの人も越えないうちは、ずっとドロー。
8
「ねぇ君、クラスどこ?名前なんていうの?」
「さっきのバトルちょー凄かったよ!俺にもバトルの仕方教えてくんね?」
グリーンとレッドが観客席に上がった途端に、男どもが群がってきた。
もちろんグリーンに、ではなく、隣のレッドに。
しかし当の本人はまるでその声など聞こえないかのようにスタスタと歩を進めていく。
レッドは先程襲われて泣いていたのが嘘のように、凛とした表情を崩さない。
むしろ事件前よりも、その緋色の眼光は鋭くなったようにさえ感じられた。
「なぁ無視してないでさぁ~」
しかし、何も事情を知らないナンパ目的の男は、反応が無いのに焦れてレッドの肩をグイと掴んでしまった。
隣でグリーンが「あ、これやばい」と思うくらいに、振り返ったレッドの燃えるような緋色には怒りが映っている。
グリーンでさえもようやく分かり始めてきたレッドの表情である。
おそらく初めてレッドを見たであろう彼らに、そんなレッドの微細な表情の変化など分かるはずがない。
グリーンは思わずその男の手をレッドの肩から払いのけていた。
「ちょっ、その辺で勘弁してくれねぇ?俺のツレだから」
これ見よがしにレッドの肩を抱き寄せてそう言えば、抱き寄せたレッドの身体がビクリと小さく震える。
そして間髪入れずグリーンの足へ訪れる鋭い痛み。
「いってぇええぇえええっっ!!」
本日何度目かの足への攻撃に、グリーンの喉は反射的に叫び声を上げていた。
「何すんだよ!?」
レッドは無言でグリーンを押し返す。
しかしグリーンもムキになって今度はわざとらしく腰を抱いてくる。
レッドはがら空きのグリーンの腹に肘鉄を入れる。
グリーンが痛みにその場にうずくまる。
唐突に始まった痴話喧嘩のようなそうでないような無言のやりとりに(グリーンは一人で呻いていたが)、男たちは二人を本当にカップルだと思ったのだろうか。
小さく舌打ちをすると、観客席の人の群の中に溶け込んですぐに見えなくなってしまった。
「って、おい。もうバトル終わりそうじゃね?」
グリーンは不意に響いた轟音に、しゃがみこんだままフロアのほうに首を捻った。
レッドもつられてそちらのほうに視線をやる。
二人の不毛なやり取りの間にもバトルは続いており、観客の歓声は止むことがなかった。
ちなみに、今下のフロアで行われているのは準決勝である。
レッドとグリーンは先ほど準決勝を勝ち上がってきたため、このバトルの勝者がレッドたちと戦うことになる。
そしてこのバトルに勝利するのがどちらかなど、試合を見るまでもなく明らかだった。
「サカキ…」
レッドは強く唇を引き結んで遠くバトルフロアに立つその男を睨みつけた。
男の指示のもと、ガルーラがふいうちで相手を伸したのが見える。
その瞬間、今の一撃で勝負が決まったらしく、会場に割れんばかりの歓声が響いた。
「一般参加の…あいつが勝ったのか」
グリーンが痛みから立ち直ってレッドの隣からフロアを見下ろす。
どう見ても、あれは先程トイレでレッドに強姦未遂をした男だ。
フーディンがテレポートするまでの一瞬だったが、あの鋭い眼光と溢れ出るオーラのようなものは強烈で、こんな遠くからでも間違うことなく彼だと認識できる。
「…レッド、あいつとどういう関係なんだよ」
「………また、話すから」
レッドは今は話すつもりは無いというように目を反らした。
レッドが「絶対に勝たなくてはいけなくなった」と言った原因はきっと彼にある。
それだけはグリーンにも分かったが、所詮そこまでである。
レッドの口から聞かないことには何も分からない。
グリーンが小さく溜息をついたその時、後ろから聞き覚えのある声がグリーンの名を呼んだ。
「グリーンさんんん!!!」
嫌な予感しかしない。
グリーンが恐る恐る後ろを振り返ると、着ぐるみを来た二人組がものすごい勢いでこちらに向かってくるのが見えた。
もしかしなくてもコトネとヒビキである。
「グリーンさんこんなところで油売ってていいんですか!?次決勝ですよ!?」
「知ってますよね!?決勝戦ではポケモンに技マシン一つだけ使えるんですよ!?もう選んだんですか!?」
相変わらずのマシンガントークにグリーンは思わず両耳を塞いでいた。
「技マシンは使わねぇことにしたんだよ。そのままでいく」
「え!?何でですか!?」「絶対使った方が有利なのにー!!」
こんなことを言ってはいるが、実際はグリーンも今のコトネとヒビキと同じようなことをレッドに言ったばかりである。
しかしレッドは「使わない」の一点張りだった。
覚え立ての技はポケモンが不安定になる一要素になるし、皆今の自分の技に自信を持っているとかなんとか。
レッドの持論によれば、ポケモンにはそれぞれ技の得手不得手がある。
決勝戦でいきなりポケモン自身が使ったことがないような技を使用するのは、ギリギリのバトルにおいては命取りと成り得るのかもしれない。
「まぁ、色々と考えるところがあるんだよ」
主にレッドが、だが、そこは敢えて言わずにグリーンは着ぐるみの上からヒビキとコトネの頭をグリグリと撫でた。
二人はまだ不満そうだったが、渋々と頷く。
と、そこでコトネがグリーンに一歩詰め寄った。
「ところでグリーンさん、そちらの方は彼女さんでいらっしゃいますか?」
「コトネ!?」
ヒビキが慌てたようにコトネを見るが、コトネは頬を紅潮させてグリーンをジッと見ている。
何を期待されているのか分からないが、とりあえずグリーンは本当のことを言った。
「彼女じゃねーよ」
男だし…と心の中で呟いたグリーンだが、コトネはそれを聞いた途端パッと顔を輝かせて、グリーンが止める間もなくフロアを見下ろしているレッドの隣に走り寄った。
「えっと、さっきはありがとうございました!バトル楽しかったです!」
コトネがそわそわしながらレッドへ話しかける。
レッドはコトネに気がつくと、少しだけ表情を緩めてこくんと頷いた。
その仕草にコトネの心拍数がぐんぐん上がっていく。
「ええええっと、お名前はっ、何ていうんですか?」
完全に乙女モードに突入したコトネは、勢いのままレッドにずいと迫る。
ちなみに今回のレッドの名前は『あああああ』である。
前回の『あいうえお』よりも悪化している。
レッドは少し考える素振りを見せたが、人差し指を唇にあてて小さく微笑んだ。
ないしょ、声には出さずにと口だけをゆっくり動かす。
「~~っ!!////」
それが完全にツボに入ってしまったらしいコトネは、顔を真っ赤にして隣に待機していたヒビキへと倒れかかった。
「ヤバい…ヤバいよヒビキくん…この破壊力…まさに無敵…頂点…」
「何言ってんのコトネ!?しっかり!!」
完全にのぼせてしまったコトネを必死で支えながらヒビキが叫ぶ。
その全容を見ていたグリーンは訳が分からずに首を傾げた。
「い、いったいどういうことなんだ…?」
「えっと、あの…なんか初めてバトルしたときに声かけてもらってからちょっとお熱みたいで…」
「声!?」
驚いてレッドを見れば、レッドはそうだったっけと少し焦った表情で目を泳がせた。
結局しゃべっても男だとバレる確率は低いということになる。
もちろん見た目がコレだということももちろん大きいのだろうが。
レッドは別に気にしていないようだが、先程からちらちらとこちらを見る男の目が多すぎる。
グリーンはわざとらしく溜息をつくと、レッドのすぐ隣へと並んでフロアを見下ろした。
準決勝が終わった時点からフロアの大改造が始まり、そこはあっという間に、水と氷、森、岩場の全てが詰まった巨大フロアに生まれ変わろうとしている。
今まではオプション程度にしか思っていなかったフロア設備だが、今回の規模を見ればその考えも変わってくる。
「…さっき打ち合わせたポケモンでいくのか?」
「うん」
このフロアを見てもレッドの考えは変わらないらしい。
レッドの情報によれば、あの男の得意タイプは地面。
一応地面技が致命的にならないポケモンは選んだが、先ほどはガルーラを使っていたし、地面タイプのポケモンばかりを使うというわけでもないらしい。
それに相方の方は、レアコイルとオーダイルという組み合わせで、手持ち傾向が全然つかめない。
「まぁ、出たとこ勝負ってやつなのか…?」
グリーンがぽつりと呟いたのに、レッドは無言でグリーンとの距離を詰めるように身体を寄せてきた。
驚いてビクリと身体を震わせるグリーンはお構いなしに、レッドはグリーンの耳元近くまで唇を寄せると手持ち無沙汰なその手をギュッと握った。
「さっきも言ったけど、絶対に負けられないから…最初から本気で行くよ」
「お…おぅ…」
耳元で囁かれたそれに完全に声がうわずってしまったが、グリーンはなんとかそれだけ返す。
その時、決勝戦の呼び出しアナウンスがかかってグリーンはハッと我に返ってフロアの方を見た。
いつの間にかフロア整備は終わっており、相手もすでに所定位置についていた。
準備の早さから考えておそらく相手は手持ちを変えてない。
と言っても出せるポケモンは6匹選んだうちの2匹だけなので、何が出てくるかの予測はほとんど出来ないのだが。
「行こう、グリーン」
「あぁ…って、へ!?」
真剣なレッドの声に今度こそ真面目に応えたグリーンだったが、いきなり身体が浮き上がったのに驚いて、結局それは素っ頓狂なものへと変わってしまった。
そのまま視界は観客席からフロアへ。
レッドが自分を抱えて手摺りを乗り越えたのだということに気がついたのは、完全に身体が空中に投げ出されてからだった。
"この細腕ですげぇ腕力だな……ってそうじゃなくて!!"
一人で感心して一人でツッコんでいたグリーンだったが、このままでは落ちるという当たり前の恐怖に悲鳴を上げそうになった。
…が、その前に目の前が眩い光に包まれ、次の瞬間に何かの上に着地したためその悲鳴は飲み込まれることになった。
その着地した何かがリザードンの背中だということに気づくまでにたっぷり5秒かかったグリーンは相当パニクっていたに違いない。
レッドは平然とリザードンを所定の位置まで飛ばせると、そのままフロアへと降り立った。
「ヒ、ヒビキくん…見た?今の…」
「うん、見たけど…」
「ヒビキくん…」
「……何?」
「…か、」
「か?」
「かっこよすぎるでしょおぉおぉおぉぉおおっっっ!!!???」
再び卒倒したコトネをなんとか支えると、ヒビキは泣きそうになるのをグッと堪えてコトネを観客席に座らせた。
自分もすぐ隣に腰掛けてグリーンたちが飛んだ先を目で追う。
今のパフォーマンスに観客たちのボルテージは上がりに上がってしまっている。
ふるふると震えるコトネを横目に見ながら、ヒビキも例に漏れず、内心これから始まるバトルに興奮を覚えずにはいられなかった。
「おいレッド!おまえ一言言ってからこういうことしろよ!心臓止まるだろ!?」
レッドの後に続いてリザードンから降り立ったグリーンは、通常よりも格段に速く鼓動を打つ心臓を抑えてレッドに詰め寄った。
「だって歩いてここまでくるの面倒じゃん」
「だから!一言言えって言ってんの!!」
ぎゃーぎゃー喚くグリーンを五月蠅そうに見ると、レッドはグリーンの口をその手で塞いだ。
「それより、分かってるよね?」
もう片方の空いた手でモンスターボールを腰から外しながらレッドが言う。
グリーンは反論をグッと飲み込むと小さく頷いた。
「それと、フロアの設備は使ってもいいけど使うこと自体に気を取られないこと。ちゃんとポケモンを見て、バトルしてね」
レッドはそれだけ言うとグリーンの口から手を離した。
グリーンも再び頷いてボールを腰から外す。
お互いが前へ歩み出ると、アナウンスとともに、巨大液晶画面に4人分の名前と手持ちの情報が表示された。
相手の名前は、『R』と『シルバー』。
どうやらサカキではない、相方の方がシルバーというらしい。
肩にかかる赤い髪に、隣のサカキにどことなく似た鋭い眼光。
年はグリーンやレッドと同じくらいだろうか。
グリーンから見たところそこまで脅威ではなさそうだが、油断は出来ない。
グリーンはボールを握り直すと、隣のレッドを横目で見た。
レッドもグリーンの方を見ていて、小さく頷いて返す。
そして、試合開始のブザーが鳴った。
「いけ!」
4つのボールから放たれた光の先に、巨大なモンスターたちが現れる。
グリーンのギャラドス、レッドのフシギバナ、『シルバー』のオーダイル、そしてサカキのドンカラス。
グリーンは頭の中でそれぞれのポケモンのデータを呼び起こす。
"ギャラドスが一番速い…か?"
ということは、氷の牙でドンカラスをたたいてしまうのが得策…
だが。
「ギャラドス、〝なみのり〟!!」
グリーンは自分の声がフロア中に響き渡るのを遠くに聞いた。
相手側も何か言っていたが、ギャラドスが生み出した波の音にかき消されてよく聞こえない。
波はフロア全土を巻き込んで相手側に押し寄せる。
レッドのフシギバナにも少しダメージを与えてしまうが、波から一番に解放されるのはこちら側にいるフシギバナである。
所詮これは時間稼ぎ。
相手に波が襲いかかる時にはフシギバナには光が集まり始めていた。
ギャラドスが体勢を立て直したドンカラスの辻斬りを受けてよろめくが、急所に当たらない限り一発で瀕死になることはない。
その間にもフシギバナの周りには光が集まり続ける。
相手もソーラービームを打とうとしていると分かったのだろう。
フシギバナに向かってオーダイルが攻撃を仕掛けようと大きく口を開ける。
水対草では水が不利だが、オーダイルは氷技も持っている。
ソーラービームを準備するうちに逆にたたいてしまおうと思うのは当然である。
しかし、その攻撃が届くよりも、フシギバナの背中から光が発射される方が早かった。
眩いばかりの光の光線はオーダイルに命中し、勢いのまま後方に飛んだオーダイルはそのまま戦闘不能になってしまった。
ソーラービームがこんなに早く来るわけがないと思っていたのだろう。
向こうが絶句するのが見える。
自分も前レッドと戦った時は同じような顔をしていたのだろうかと、グリーンはちらりと頭の片隅で思った。
あれからレッドと話す機会が増えて、フシギバナの早すぎるソーラービームについても聞いた。
いったいどんな手を使ったんだと詰め寄ったところ、レッドからは「照明」という何とも軽い答えが返ってきたのである。
要するに、フロアをギンギンに照らす照明が通常よりも光を集めるのを助けてくれるらしい。
日差しが強いまではいかなくても、それと似たような効果を生み出すのだろう。
そうすると、フシギバナは通常よりも素早さが上がる上に、ソーラービームも比較的早めに打てることになる。
意図されたものではないとはいえ、なんとも草ポケモンに優しいバトル会場である。
相手の『シルバー』は、舌打ちをしてオーダイルを引っ込めると、次のボールを放り投げた。
このフロアにおいては小さく見える闇色のポケモンが姿を現す。
マニューラ。
良いとは言えないタイプ相性に、レッドはわずかに眉根を寄せた。
こちらを見てくるフシギバナに指で合図を送れば、すぐにフシギバナはマニューラに向かって捨て身のタックルをかます。
しかしよろけながらもマニューラが繰り出した凍える風で、フシギバナも少なからずダメージを受けた。
そしてそこに上からドンカラスのエアスラッシュが飛ぶ。
「ギャラドス、〝こおりのキバ〟!」
しかしドンカラスの攻撃が届く前に、グリーンのギャラドスが氷を纏った牙でドンカラスに噛み付いた。
身を捩って地面へと落下するドンカラスを確認して、レッドはグリーンに目だけでお礼を言うとフシギバナをボールへと戻した。
そして次のポケモンを召喚する。
相手もドンカラスをいったん引っ込め、次のポケモンを出した。
これでグリーン以外の全員が手持ち全部を見せたことになる。
レッドからはラプラス、そしてサカキからはニドキング。
「マニューラ、〝みだれひっかき〟!」
『シルバー』のマニューラがグリーンのギャラドスを水場のほうへと追い詰めていく。
3回目の攻撃で、ギャラドスは水の中へと落下した。
巨大なギャラドスが入ったことで水場から水が外へとあふれ出す。
"…何のつもりだ?"
レッドは相手の行動に違和感を感じてちらりとサカキとその相方を見た。
サカキは水場を見て嫌な笑いを浮かべている。
そしてニドキングに目をやった瞬間、レッドはハッとなってもう一度水場に目を移した。
「ラプラス、水場に〝れいとうビーム〟!!」
「ニドキング、〝10まんボルト〟だ!!」
叫んだのはほぼ同時だった。
白い光線と白い稲妻が同時に走り、水場にドォンという爆発音と巨大な煙が立ちこめる。
「っ!?どうなった!?」
どうやらサカキは技マシンを使ってニドキングに10万ボルトを覚えさせていたらしい。
グリーンは必死に煙の中を見ようと目を凝らす。
「ラプラス!〝しおみず〟!」
しかしグリーンが固まっている間にもレッドはラプラスに指示を出していた。
煙の中で水柱が上がり、マニューラがフロア外まで押し出されてそのまま動かなくなる。
そこでやっと煙が晴れて水場が見えてきた。
そこには半身が氷付けになったままじたばたと暴れるギャラドスがいた。
あわよくば、先ほど水場から溢れた水を伝ってラプラスまで感電させるつもりだったようだが、どうやらラプラスの技のほうが速く、ギャラドスは感電する前に凍りづけになったらしい。
HPは残りわずかなものの、なんとか余力は残っている。
「頑張れギャラドス!〝たきのぼり〟!!」
ギャラドスは滝登りの勢いで氷から抜け出すと、そのままニドキングへと突っ込んだ。
瀕死間近となったニドキングだが、同時にギャラドスもその巨大な体を地面へと投げ出した。
ステータス画面には『毒』の文字が。
どうやら直接攻撃でニドキングから毒をもらってしまったらしい。
「くそ、運悪ぃ…」
グリーンが歯噛みするのと同時に、瀕死間近のニドキングの10万ボルトがラプラスへと命中し、ラプラスも戦闘不能となった。
レッドとグリーンは同時にポケモンをボールへと戻すと、お互いに顔を見合わせた。
「す、すごい…」
「うん…」
ヒビキとコトネは応援するのも忘れて目の前で繰り広げられるバトルを見ていた。
他の観客も固唾をのんでフロアを凝視している人が多い。
それだけ緊迫した、そしてこの上ない興奮を覚えるバトルだった。
「どっちが勝つのかな…」
瀕死間近のニドキング側のほうが不利に思えるが、始めにHPの少ないフシギバナを倒してしまえば勝負の行方は分からない。
そして観客全員が見守る中、レッドはフシギバナを、そしてグリーンはピジョットを繰り出した。
「ピジョット!〝でんこうせっか〟!」
まさに電光石火のごとく飛んだピジョットだが、サカキがその直前にニドキングを引っ込めてドンカラスを出したため、ピジョットはドンカラスへと突っ込むことになった。
当然だが、電光石火ではドンカラスは瀕死にはならない。
「ドンカラス、〝ほろびのうた〟!」
「!?」
「まじかよ!?」
気持ち悪くなるような歌のような低い悲鳴のような音がフロア中に響いた。
レッドが僅かに動揺したのが伝わってきて、グリーンも生唾を飲み込む。
フシギバナの背中から出た複数のツルの鞭がドンカラスを襲うが、これにも耐えたドンカラスは完全に守りの体勢に入った。
早めに決着を付けないと、こちらが全滅する。
もう電光石火でいける残りHPなのに、それが出来ずにグリーンは歯噛みした。
残り2ターン。
守りの効果が消えた瞬間、ピジョットがドンカラスへと突っ込んでドンカラスは瀕死になった。
レッドは黙ったまま向こう側にいるサカキをジッと見た。
技マシンで覚えさせたのは10万ボルトだから、ニドキングは守るは覚えていない。
表情から見るに、向こうも余裕というわけではないらしい。
"絶対に…負けられない……絶対に…まだ、このままでいたい…"
レッドはグッと歯噛みすると、サカキをキッと睨んだ。
その視線に気づいたサカキも、今度は笑うことなく真剣に見返してくる。
向こうも本気と言うことだ。
サカキが最後のボールを放る。
ニドキングが召喚されると同時に、グリーンはピジョットを突っ込ませた。
「ピジョット、〝でんこうせっか〟!」
「ニドキング、〝こらえる〟」
「!?」
レッドは目を見開いた。
また遺伝技。
ピジョットの電光石火も、フシギバナのソーラービームも耐えられる。
残り1ターン。
「くそっ、ピジョット、〝でんこうせっか〟だ!」
「ニドキング、〝こらえる〟!」
心臓がバクバクと五月蠅い。
喉から飛び出てしまいそうだ。
バトル時のいつもの高揚感とは違う。
冷や汗が背中を伝っていく。気持ち悪い。
目の前の視界がグラグラする。
どうなる?
レッドが、グリーンが、サカキが、『シルバー』が、そして観客が息を詰める。
そして次の瞬間、技に失敗したニドキングにピジョットが突っ込んだ。
「や、やったぁあぁああああっっ!!」
感極まったコトネがヒビキに抱きついて叫ぶ。
ヒビキもコトネを抱き返してうんうんと大きく頷いた。
試合終了のブザーが鳴り、勝者としてグリーンとレッドの二人が大きく液晶画面に映し出される。
観客から、今までとは比べものにならないぐらいの耳をつんざくような歓声が上がった。
「お、おい、やったぞ…」
まだ勝ったという実感が湧かないグリーンは、ピジョットを戻したボールを持つ手が震えるのを感じながらレッドに声をかけた。
レッドはしばらく呆然としていたが、不意に腰が抜けたようにへたりと座り込んでしまった。
小さくかたかたと震えるその肩にそっと触れて顔をのぞき込めば、その緋色の目からはらはらと涙が零れているのが目に入ってきて、グリーンは思わずかけようとしていた言葉を飲み込んだ。
「よかった…、よ、かっ…た…」
涙を拭おうともせずにそう呟くレッドは、不意にグリーンのほうを見ると、泣き笑いのような複雑な表情で「ありがとう」と言った。
「ありがとう、グリーン…ホントに、ありがと…」
そのまま、胸に倒れ込んで来たレッドに、グリーンは慌てて両腕を回してその弛緩してしまった身体を支える。
"気…失ってる?"
ぴくりとも動かないレッドに、グリーンはバトルフロアで一人途方に暮れることになった。
***
「う…」
「お、目覚めたか?」
「…?」
レッドはぼんやりと目を開けた。
すぐ目の前にこちらをのぞき込むグリーンの顔。
「!?」
「ぐはっ!?」
レッドは驚いてその勢いのまま身体を起こした。
そして見事にレッドの頭が顎へと直撃したグリーンがすぐ横でもんどり打って倒れている。
レッドは「痛い…」と言って額を抑えるが、グリーンからは「俺の方がもっと痛いわ!」というツッコミが返ってきた。
そこでやっとこさレッドは今の状況が飲み込めてきた。
ここは保健室かどこかだろうか。
保健室自体使用したことがないため、ここがそうだという確証はないが、自分が寝かされていたベッドはよく保健室にあるようなものだった。
レッドは着崩れた浴衣から自分の身体を見た。
そこにあるのはちゃんとした男の身体。
あのとき、残り1ターンになったとき、一瞬身体が焼けるように熱くなった。
どっちが勝つかなんて運に近かった。
それでも、ぎりぎりだったが、勝てた。
現状維持を守ることが、出来た。
安堵から再びベッドに倒れ込みそうになるのをグッと堪えて、レッドは軽く前を直すと復活してきたグリーンのほうに目をやった。
「あ、レンタルポケモンは返してきたからな」
「ん、ありがとう」
頑張ってくれたポケモンたちにお礼が言えなかったなとぼんやりと思いながら、レッドは小さく頷いた。
「そういえば、おまえ結局バトル中に声出しちゃってたな」
「そう…だっけ…」
そういえば冷凍ビームや塩水の指示は口でしてしまったかもしれない。
必死すぎて全然気にしていなかった。
レッドはしまったというように僅かに顔をしかめたが、グリーンは「でも誰もおまえが男だって気づいてなかったぞ」と笑って言った。
レッドはそれは良かったと胸を撫で下ろしたが、次の瞬間「いいのか?」と自分の胸に問いかけることになった。
自分は男だ。男。女装しているだけで女ではない。
気づかれないというのは逆にどうなんだろうか。
そんなレッドの気持ちを知ってか知らずにか、グリーンはレッドの頭を優しくぽんぽんと叩いた。
「そうだ、何か買ってきてやるよ。結局露店とかあんまり回れなかったしな」
「じゃあ、何か、飲むもの…」
「分かった」とグリーンはニコリと笑うと、すぐ帰ってくるからジッとしてろよと言って部屋から出て行った。
そこで改めて息をつく。
「優しいな、グリーンは…」
じわじわと、何か熱いものが這い上がってくるような妙な感覚に襲われる。
ああ、なんというか、まるで…
「まるで白馬の王子様だな」
「!?」
レッドは驚いて声がしたほうを振り返った。
いつの間にか部屋の隅に腕を組んで立っているその男は…
「サ…、むぐっ!」
「おっと、彼が行ってしまうまで黙っていてもらおうか」
その男、サカキはレッドの口を手で塞ぐとニヤリと笑った。
どうやらグリーンが出て行ったのを見計らってテレポートしてきたらしい。
数十秒口を塞がれていたレッドは、手を離してもらえると同時に「何しに来た」とサカキを睨み付けた。
「随分な態度の違いじゃないか」
「あんたはそれ相応のことをしただろ…」
あくまで冷たく言い切れば、サカキは面白くなさそうにレッドをベッドに押し倒すと、その両肩をベッドに押さえつけた。
「い゛っ!」
「私はどうして今日負けたのだと思う?」
「じ、実力だろ…」
「最後の技がもし決まっていたら、私が勝っていた。もしそうなっていたら、おまえは今頃私の望み通りになっていたんだろうか」
「…っ!」
先ほど直したばかりの浴衣の前をはだけられて無遠慮に身体のラインをなぞられる。
ぞわぞわと身の毛がよだつのを感じながらも、レッドはサカキから目を離さなかった。
「さっきの、ひぅっ、相方の、子…あんたの子なんじゃ…ないの?」
「どうして?」
「…なんとなく、目が、似てる」
「さすがレッド。勘がいいな」
「…分かってんの…?あんた、自分の子どもと同じくらいの年齢の子ども手籠めにしようとしてるんだよ」
「年など関係ない。私は優秀な遺伝子が欲しいんだよ」
「っ、サイッテー!!」
思わず声を荒げれば、ずいと真剣な顔が目前にまで迫ってきてレッドは思わず口をつぐんだ。
「そのためなら何でもしよう。それが例え誰かの人生を奪うことになってもな」
「ほんと…信じられない…」
小さく呟いたレッドにサカキは自嘲気味に笑うと、靴のままベッドに上がってきてレッドの上に馬乗りになった。
ビクリと身体を震わせるレッドの顔を見てサカキは満足そうに頷く。
「しかし君は弱くならないな。ポケモンから離せば君に勝ち目はないと思っていたが、見くびりすぎていたようだ。悔しいが、嬉しくもあるんだよ」
「………」
「もう、少し、もう少しだろう?このままいけばそれは近い未来だ」
「…っ」
レッドは悔しげに目をそらせた。
「そうだ、久々にしようか、レッド」
「っ!?い、嫌だ!!」
いきなり何を言い出すんだと目を見開くレッドに、サカキはニコリとグリーンとは違った邪気のこもった目を向けた。
「正直、今日までは女の君の身体にしか興味はなかったんだがね。改めてみていたらそういうのも悪くないかもと思えてきてしまったよ」
「思うな!!」
「それに、変わる瞬間を見てみたいというのもある…」
レッドは精一杯サカキを睨み付けると、帯を解こうとするサカキの手を思い切り振り払った。
肩を押さえていると油断していたようだが、男の今、この程度なら振り払うことなど造作もない。
そのままベッドから転がるように離れれば、サカキがゆっくりと立ち上がったのが目の端に映った。
背中に手を回して、結んだ帯の奥からボールを取り出す。
「ピカチュウ!」
ボールから放たれたピカチュウからサカキに向かって電撃が走る。
しかし、それはサカキに届く前に光の壁によってはじかれた。
いつの間にかサカキの隣には例のフーディンがいる。
レッドは小さく舌打ちすると、部屋から出ようとドアへと走る。
しかし、ドアは塗り固められてしまったようにぴくりとも動かなかった。
「ドアは開かないよ。諦めなさい」
「この…っ」
レッドはサカキを恨めしげに見ると、ドアの反対側へと走った。
レッドを追い越したピカチュウがその先の窓に向かって跳ぶ。
「〝アイアンテール〟!」
材質を変えたように鈍く光るピカチュウの尾が、円を描くように窓ガラスへと突っ込む。
窓ガラスが円形に切り抜かれた次の瞬間には、同時に放たれた電撃波が窓ガラスを粉々に吹っ飛ばしていた。
窓の桟を飛び越えたレッドはそのまま部屋から脱出して見えなくなってしまった。
「しまった。窓の外には壁を張っていなかったな」
たいして慌てた様子もなくフーディンにそう言うサカキは、逆に楽しそうにも見える。
「久々に追いかけっこかな、レッド」
「ん?」
グリーンは保健室のほうから何か大きな音が聞こえた気がして足を止めた。
その両手にはリクエスト通りのジュースと、軽いお菓子が握られている。
嫌な予感しかしないグリーンは、走って保健室まで行き、そのドアを勢いよく開けた。
「マジかよ…」
そこには荒れ果てた保健室の姿が。
ベッドのシーツは床に落ちてしわくちゃになっているし、何より、窓が、ない。
バタバタと風にはためくカーテンが、レッドがそこから出て行ったことを示しているようだった。
というか、それしか考えられない。
"ちっくしょー!やっぱり一人にするんじゃなかった!!"
グリーンはジュースとお菓子を机に置くと、そのままレッドと同じく窓の桟を飛び越えて外へと出た。
「はぁっ、はぁ…っ」
レッドは校舎の裏門の方へと走っていた。
保健室の中にいるときは気がつかなかったが、外はもう暗い。
いったいどれだけ寝ていたんだと自分を責めるものの、それはもうしょうがない。
とりあえず学校から出なくては。
空が闇色に近づけば近づくほど身体を駆け巡る違和感は大きくなってくる。
"駄目だ、もう、変わる…"
ぜぇぜぇと乱れる息をなんとか落ち着かせようと、校舎裏の壁に手をついてその場にうずくまる。
これ以上走れる気がしなかった。
見られたらまずいからと戻したピカチュウのボールが心配そうにカタカタ揺れる。
「だいじょ、ぶ、…大丈夫、だよ……はっ…はぁっ」
そう言いながらも、走ったこともあってかいつもよりも身体への負担が大きい。
体中を暴走する熱をなんとか逃がしたくて、歯を食いしばって冷たい校舎へと身体を押しつける。
と、後ろから背中に誰かの手が置かれて、レッドは驚いて大きく身体を震わせた。
そのまま後ろを振り返れば、そこには心配そうな顔をしたグリーンが…
サカキではないことに安堵を覚えるものの、すぐにそれは焦りへと変わった。
「おい、大丈夫かレッド…おまえすげぇつらそう…っていうか、なんで保健室出たんだよ。何かあったのか?」
「ごめん、あっち行って、グリーン…」
労るように触れてくるグリーンの手を振り払って、レッドはグリーンから離れようとずるずると身体を引きずる。
それに気を悪くしたのはグリーンである。
「何だよその言い方。こっちは心配して…」
「いいからっ!お願い!」
尋常でないレッドの様子に、グリーンも何かがおかしいと思ったらしい。
「おい、やっぱりおまえおかしい…」
無理にレッドの肩を掴んでこちらを向かせれば、顔を真っ赤にして涙を浮かべるレッドがいて、グリーンは思わず生唾を飲み込んだ。
ふら、と倒れそうになるレッドを慌てて正面から支えてやるが、息も絶え絶えなレッドはそれでもグリーンの胸板を押してどうにかして離れようとする。
「レッド…?おまえホントどうした…」
「お願い…、見ない…でぇ…」
何を?と聞く前に、レッドが前のめりに倒れてきたため反射的にそれを抱き留める、と、何かが胸板に当たった。
とても柔らかいものが。
視線を下にやれば、羞恥といろいろで顔を真っ赤に染めて目いっぱいに涙を浮かべたレッドの顔と、その更に下、着崩れた浴衣の下にあってはならないものが見えて、グリーンは完全に思考が停止した。
「へ…?」
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