ここに立つと一気に周りの喧噪が遠のく。
代わりにうるさいくらいの自分の心音が耳に響いた。
身体の内側からジリジリと沸き立ち、身体中をかけ巡るこの熱いもの。
これを相手も感じているのだろうか。
緊張、期待、興奮、歓喜、…いや、そんな言葉では到底表せない。

ここに立った者だけが感じることの出来る、思わず身震いするほどの高揚感。

バトルの開始を告げるブザーがフロア内に鳴り響く。
一匹目のポケモンが入ったボールを高く放る。
自分の感じている全てが最高潮に達する。

「さぁ、バトルしようぜ!」











         3



決勝戦。
目の前には予想通りに全身赤色の少女が立っている。
グリーンが準決勝戦を終えたとき、少女は既に勝負を終えてフロアから立ち去っていた。
よってグリーンは彼女の戦闘スタイルを知らない。
しかし、コトネとヒビキに教えてもらった通りならば手持ちの入れ替えは行っていないはずだ。
ちゃんとタイプ相性を考えてまたポケモンは交換されている。
負ける気はしなかった。
グリーンは少女に向かって不敵な笑みを浮かべた。

「俺は女だからって手加減しねぇぞ!」

大歓声の中、グリーンの声は少女に届くまでにかき消されてしまったかもしれない。
しかし、帽子が影になって顔はよく見えないが、グリーンには彼女の口元が笑ったように見えた。

液晶ディスプレイに表示された相手の少女の名前は“あいうえお”。
登録する名前は自分で決められるため、あだ名などを使う生徒も多い。
しかし、“あいうえお”は…さすがに、ない、とグリーンは思う。
本名は使いたくないが名前も考えたくない、顔も隠したい。
…いったい何を考えているのか分からない。
しかも、決勝戦に出てくるほど強いのに、何故定期バトルに今まで出てこなかったのか。
そこまで考えて、グリーンは小さくため息をついた。
胸の高鳴りは相変わらず止まない。
今は目の前のバトルだ。
バトルフロアにはすでに二匹のポケモンが出ており、指示を待っている。
こちらがフーディン、あちらがフシギバナ。
レンタルポケモンのレベルはほぼ50で揃えてあるため、ちょっとした技の選択ミスが命取りとなる。

"タイプ的には断然こっちが有利…"

グリーンは改めて少女を見た。
相変わらず表情は分からないものの、タイプ不利に焦っている様子は全く見られない。

"何か策があるのかは知らねーけど…"

「先手必勝だぜ!フーディン、サイコ…」

そこまで言ったところで、目の前に閃光が走った。
次いで暴発するような光の拡散。
反射的に瞑った目を開ければ、フロアにはボロボロで倒れる寸前のフーディンの姿があった。

「!?」

一瞬何が起こったか分からなかった。
しかし、これは…

"嘘だろ!?ソーラービーム…!?"

ソーラービームは2段階踏まないと使えない技である。
いつの間に準備した?
むしろ、相手が技の指示を出すのをグリーンは見ていない。
ずっと相手を見ていたからそれだけは間違いない。
どうして?どうやって?

「くそっ、フーディン、サイコキネシス!」

考えている暇はない。
わずかであるがフーディンのHPはまだ残っているのだ。
サイコキネシスを食らったフシギバナは一発で倒れた。
相手は次に何を出す…?
グリーンが考えるよりも先に相手はボールを投げていた。
同時にフソギバナがボールへと吸い込まれ、代わりに表れたのは小さな黄色い塊…ピカチュウである。
ピカチュウはボールから出ると脇目もふらずにフーディンへと突っ込んだ。
電光石火。

"…まただ!"

指示を出していないのにポケモンが勝手に動いている。
残り少なかったHPが0になって地に伏したフーディンをボールに収めて、次のボールを投げる。
すると相手もピカチュウをボールに戻して違うボールを投げた。

「ポケモン替えんのかよ!?」

次いで自分が繰り出したポケモンはサイホーン、相手はリザードン。
電気タイプ対策のサイホーンだが、リザードンもタイプ相性でいえば最高である。

「ストーンエッジ!」

グリーンが叫ぶのと同時にリザードンが飛び上がり、サイホーンに向かってその鋭利な爪を振り下ろす。
その爪がサイホーンの硬い皮膚のちょうど連結部分を切り裂いた。

"くそっ、急所か…!?"

サイホーンが苦しそうな声を上げて地に伏す。
しかしリザードンが飛び上がった瞬間から発動し始めていた技で、切り裂いた瞬間に岩がリザードンへと降り注いだ。
結果、二匹同時に戦闘不能となる。

「くそっ」

情報によれば相手の手持ちは、フシギバナ、リザードン、ピカチュウ、カメックス、カビゴン、ラプラスの6匹のはず。
ピカチュウ対策のサイホーンがいなくなった今、出せるのは…
カビゴン対策の、格闘タイプ。
飛行タイプは今のリザードンだけであるし、エスパータイプも相手の手持ちにいないため、急所に当たらない限り一発で瀕死になることはないはずだ。

「いけ、エビワラー!」

カメックスが来てもラプラスが来ても雷パンチで対処出来る。
カビゴンでももちろんいい。
まさかピカチュウ相手にやられるなんてことはないはずだ。

"さぁ、何を出す…?"

ストーンエッジの影響で砂煙が舞い、相手が投じたポケモンの姿が見えるまでに少し時間がかかった。
辺りが吹雪き始める。
これは…

"…ラプラス!"

「いけエビワラー!かみなりパンチ!」

そしてエビワラーがラプラスに向かって足を踏み出した瞬間…
ラプラスがボールに戻された。

「は?」

思わず間抜けな声をあげたグリーンだったが、ストーンエッジの名残であるフロアに散乱した岩の影から何かが飛び出すのを見て思わず目を見開いた。

「後ろだエビワラー!」

エビワラーはそのフットワークで瞬時に振り返った…が、振り返ったところで為す術はなかった。
空に向かって飛んだのは、先ほどフーディンにとどめをさしたピカチュウ。
その小さな身体は、グリーンが見たことのない量の電気をまとっていた。
少女がすっと手を挙げる。
その瞬間、バトルフロアに目を開けていられないほどの閃光が走り、次いで耳をつんざくような爆音が広いフロアへと響きわたった。

そしてグリーンは見た。
少女が手を挙げた瞬間、その帽子の下で血に濡れたような緋色の瞳が楽しそうに細められるのを……






***





足早にバトルフロアを出て、借りていたポケモンたちを返すと、レッドは着ていたジャージを腰にしばって半袖になった。
ずっとかぶっていた帽子も外し、蒸れるウィッグを頭から取り去る。
それだけでずいぶんと涼しく感じる。
ふるふると頭を軽く振ってから手の甲で、ぐいと額に滲んだ汗を拭う。
歩いてきたのは先ほどバトルが始まる前にも来ていた校舎裏。
ここまで来てもまだ先ほどの決勝戦後の歓声が聞こえてくる。
かれこれ5分以上続いているのではないだろうか。

「・・・・・・・・」

まだドキドキが治まらない。

「…楽しかったな」

こんな気持ちはいつ以来だろうか。
そのままずるずると壁に背を預けてしゃがみ込めば、火照った身体にアスファルトのひんやりとした冷たさが服越しに伝わった。
まだ脳裏に焼き付いているあのバトル。
全力をぶつけるあの開放感。
そして相手をじりじり追い込んでいくあのなんとも言えない感じ。
好きだ。
バトルが、好き。
校舎の壁にもたれて俯いたまま、いつになくボーっとしていたからだろうか。
目の前に立った人影にも瞬時に反応することが出来なかった。

「俺も楽しかったぜ」
「!?」

いきなり肩を掴まれて驚いて顔を上げる。
そこにいたのは、そう、他でもない…
ギョッとして立ち上がり、そのまま逃げだそうとしたレッドだが、即座に両手を掴まれ後ろにひと括りにされたためそれは叶わなかった。

「よう、“あいうえお”さん」
「グ、グリーン…」

恐る恐るそちらを窺えば、満面の笑みを浮かべたグリーンが立っていた。
正直、笑顔過ぎて怖い。

「なんで変装なんてしてたんだ?」
「君には関係な…って、ちょ!?」

どうやらウィッグを取るのを見られていたらしい。
逃げるように顔を背けたレッドだったが、掴まれた腕を引かれて引き寄せられたため余計にグリーンと密着する形になる。
そして次の瞬間、レッドは服の中に違和感を感じて身体を震わせた。
それがグリーンの手だと分かるのに数秒。

「…や、ぁっ…」

それが上へとのぼってきて、しまいには胸をまさぐられる。
驚いて真っ青になって抵抗しようとするものの、両腕の自由を奪われているため大した抵抗にはなっていない。

「は、はな、せぇ…っ」
「んんー…やっぱ胸、ねぇなー…」
「っ!!」

レッドは渾身の力を込めて封じられていない足でグリーンの足先を思い切り踏みつけた。
グリーンが呻いて腕を拘束していた力を緩めたのを逃さず、そのままの勢いで振りほどいてグリーンから距離を取る。

「あ、当たり前だろ、男、なんだから…っ」

乱れた息を整えながら、一歩、二歩更に後ずさる。
改めてグリーンを睨めば、グリーンは全く動じた様子もなく「まぁ、そうだな」と呟いた。

「で、3つくらいお前に聞きたいことがあるんだけど」
「答える義理なんてない」

グリーンの言葉に背を向けて素っ気なく返したレッドだったが、次の言葉を聞いてグリーンのほうを見た瞬間、驚愕に目を見開いた。

「へぇ、これでも?」

含みのある声で言うその手に握られているのは…

「か、返せっ!!」

いつの間に取られたのだろう。
そこには相棒…ピカチュウの入ったモンスターボール。

「ピカチュウ…、ポケモン保護条例で指定受けてるポケモンだよな。おまえ、見つかったら警察沙汰だぞ」
「ち、ちがっ、それは…」
「レンタルポケモンを持ってきちゃったってのは無しだぜ?さっき6匹とも返されてるの確認してきた」
「っ…」

ポケモン保護条例。
1年前にいきなり定められた、手持ちポケモンを厳しく取り締まるための理不尽な条例である。
ポケモンは危険な生き物とされ、危険指定されたポケモンは根こそぎ持ち主から取り上げられた。
もちろん、グリーンの手持ちポケモンもあらかた没収された。
残ったのはノーマルタイプでレベルもそこまで高くないイーブイだけである。

それからは、バトルの時のみ、上の監視がある状態でポケモンを扱うことが許されているという現状が続いている。
確かにポケモンが原因で起きる事故というのは決して少なくないし、ポケモンが関わる事件・事故に被害の大きいものが多いというのも事実である。
しかし、しっかりしつけられたポケモンや、大人しいポケモンが人間に害をもたらすことはほとんどないと言っても過言ではない。
ポケモンはずっと昔から人間のパートナーとして共生してきたのだ。
意味が分からないと抗議する声も当初あちこちから上がったが、取り締まりが異常なほど強化されていくにつれ、そのような声も減ってきた。

そんな現状である今、レッドが手持ちでピカチュウを持っているのは非常に問題なことなのである。

「…僕の…せい……なんだ…」
「は?」

蚊の鳴くような声で絞り出されたその言葉に、グリーンは首を傾げる。
レッドはというと下を向いてしまっているため、グリーンから表情を窺うことは出来ない。

「フシギバナも、リザードンも、カメックスも、カビゴンも、ラプラスも…、街のみんなのポケモンも…、君のポケモンだって…そうだろ…?…みんな、みんな連れて行かれちゃったんだ…僕のせいで…」

グリーンは訳が分からずにその場に立ち尽くしているレッドとの距離をそろりと詰める。
そっと顔をのぞき込めば、歯をギリと音が聞こえそうなくらい噛みしめ、血のような深い緋色を揺らせているレッドがいて…
思わず呆然としてその顔を眺めていたグリーンだったが、不意にレッドが目線を上げたためその緋色と視線がぶつかった。
いきなりのことにギクリとなるグリーンは余所に、レッドは懇願するような目でこちらを見てくる。

「…でも、捕まりたく、ないんだ……グリーン…」

その濡れた瞳が昨夜の彼女のものとかぶって軽く目眩がする。
そんなことを考えている場合ではないことは分かっている。
しかし、グリーンにはレッドが何を言っているのかさっぱり分からないのだ。
捕まる?誰に?警察に?それともそれ以外に?
ポケモン保護条例は目の前のこの自分と同い年の少年のせいで作られた?そんな馬鹿な。
分かることと言えば、レッドが何かに追いつめられている状態にあるということ、そしてレッドが昨夜一晩を共にした少女と非常に似ているということだけである。

「…おまえは、俺に何かを求めてるのか…?」

やっとこさ口に出来たのはそんな言葉だった。
レッドはハッとしたように目を瞬かせたが、次の瞬間ゆるゆると力なく首を振って再び俯いてしまう。
そして、一歩、二歩後退してグリーンから距離を取ると、そのまま踵を返してその場から走り去ってしまった。
グリーンの手からボールを奪い返すのだけは忘れずに…

「…あー……俺の馬鹿…」

その場に一人取り残されたグリーンは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
あれはどう見ても助けを求めていた。
どうしてかは分からないが、自分に向けて。
その手を…無情にも払いのけてしまった。
いや、直接払いのけたわけではないが、どう捉えても先ほどの自分の言葉は相手を拒絶するものだっただろう。
きっと、相手もそう感じたからこの場にいられなくなったに違いない。
しかし、いったい自分はどう対応すれば正解だったのか。
彼を抱きしめて、大丈夫だ力になってやると慰めればよかったのか?
今日会ったばかりの奴に?
考えれば考えるほど、先ほどの自分を見つめる緋色の瞳が思い出される。
離れない。
どうしようもなくなる。

「くそっ、いったい俺にどうしろっつーんだよ!!」

しかもまだ聞きたかったことのこれっぽっちも答えてもらっていない。
グリーンは頭をがしがしと掻くと、レッドを追うべく足を踏み出した。











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ソーラービーム50レベルじゃ覚えないだろというツッコミはしないでもらえるとうれしいです…orz