「ヘイ!ユーはミーのこと覚えてまスカー?」
「えっと…勿論覚えてます。あの時のライチュウ元気ですか?」
「元気デスよー!よかったら撫でてあげてくだサーイ」

腰から取り出されたボールから召喚されたのは疲弊したライチュウ。
見た目はお世辞にも元気とは言えない。
いや、実際に先程までは元気だったのだろう。
恐らくグリーンとの戦いで戦闘不能状態に…。

「…頑張ったね」

苦しそうに息をするライチュウに、そっと手を伸ばす。
いつもピカチュウにするように顎の辺りをくすぐってやれば、ライチュウは気持ち良さそうに目を細めて小さく鳴いた。
カタカタと腰で不機嫌そうにピカチュウのボールが揺れるが、ピカチュウには少し我慢してもらうことにする。
きっとこの子もつい最近まで狭いボールの中での生活を余儀なくさせられていたのだろう。

「バトルは楽しかった?…よかったね」

短い毛並みを撫で回していると、ついにライチュウがこちらにしな垂れかかって甘えはじめた。
擦り寄られた肌が静電気で少しぴりぴりする。
それがピカチュウと同じで、無意識に笑みがこぼれた。













         16









「わぁー!これ美味しいですレッドさん!」
「こっちも!」

先程まで砂埃が舞っていたフロアで広げられるランチセット。
甲斐甲斐しくグリーンにお茶を注ぐレッドに、コトネとヒビキは賛辞の雨を降らせていた。

「いっぱい作ったからどんどん食べてね」

レッドもそれに嬉しそうに返す。
そしてそんなレッドを見てグリーンも頬を緩ませていた。

「ホントに美味いよ。サンキューな、レッド」
「…う、うん」

グリーンからも素直な賛辞を送れば、レッドははにかみながら頷く。
弁当の中身はグリーンが好きな物ばかりで、レッドが自分のために作ってくれたのだと思うと嬉しさを隠しきれない。
おそらく今の自分の顔は随分とだらしないことになっているのだろう。
グリーンは平生を装おうと無言でポークウインナー入り卵焼きを咀嚼していたが、不意に背中をつつかれて顔だけを後ろへ向けた。

「あらぁ~、随分と嬉しそうな顔しちゃってぇ。妬けるわね~」
「本当に美味しそうですわね。私も是非お零れに預かりたいですわぁ」
「見せつけているつもり?ふん、私たちも舐められたものね」
「……えっと、あの…」

振り返ったグリーンの目に映ったのは、黒いオーラを隠そうともせずこちらを見てくる、カスミ、エリカ、ナツメの3人だった。
グリーンの背中が一気に冷えていく。
先ほどのバトルとはまた違う、真っ直ぐにこちらを射貫く目。
例えるのなら、獅子、鷹、虎。
しかし、グリーンが思わず恐怖に身を縮こまらせたのを知ってか知らずか、グリーンの隣から身を乗り出したレッドが、先ほどと変わらぬ笑顔で手前にいたカスミとエリカの手を引いた。

「よかったら3人も一緒に食べない?ちょっと多めに作っちゃったし、つまむくらいなら…」
「あら、いいんですの?」
「ありがとうレッド」
「それではお言葉に甘えて…」

先ほどから一転。
満面の笑みを浮かべた3人は、こともあろうに、わざわざグリーンをどかすようにレッドとの間に割り込んだ。

「ちょっ、おい!」
「あんたには勿体ないわ」
「何が!?」
「全部ですわ」

酷い言われようだ。
これは、何だ。あれか。さっきのバトルの鬱憤を今晴らされているのか。
唖然とするしかないグリーンを気にも留めず、レッドの隣を陣取った3人は、いただきますもそこそこにレッドの方へ向き直った。
それぞれに卵焼きやおひたしを咀嚼しつつも、そこには既に、トレーナーの顔となった彼女たちがいる。

「前置き無しで悪いのですが、聞かせてください。…レッドのポケモンは戻ってきたんですの?」
「え…あ、うん…」

直球過ぎる質問にレッドは少したじろぐ。
しかし、隠すことでもないと、上着をまくり上げて腰に付く6つのボールを示した。

「他のポケモンは?」

旅をしてチャンピオンになったことを知っている彼女たちからすれば、レッドの所有するポケモンが6匹しかいないというのは考えられない。
カスミは6つのボールを確認した後、すぐにレッドへと視線を戻した。

「今マサキに聞いてみたら、レッドのボックス空らしいじゃない。全部逃がしたってこと?それとも…1匹も帰って来なかったってこと…?」
「逃がしたよ」
「……そう」

後者の質問は、違うと分かっていた上での質問だったのだろう。
カスミはたいして表情を変えずにため息をついただけだった。

「…っていうか、個人情報漏洩…マサキのやつ…」
「まぁジムリーダーの特権ってやつね。マサキの弱みも握ってるし、その辺はちょろいわ」
「………」

"怖っ!!"

黙って話を聞いていたグリーンは、新たにタコさんウインナーを箸で摘みつつ戦慄していた。
「マサキ」という名前はグリーンも聞いたことがある。
確か、ポケモン預かりシステムの開発者だったはずだ。
レッドは学校では交友関係が狭そうだと思っていたが、どうやら外だと以外と顔は広いらしい(主に有名人に)。

「どうして逃がしたか、聞いてもよろしいですか?」
「えぇ、カツラさんから大まかな話は聞いたわ。今のあなたには、少しでも多くのポケモンが必要なのではないの?」
「………」

それはグリーンも気になっていたことだった。
あの日、ポケモンを解放してから一晩明けた時、外に出た二人を待っていたのは前の晩に解放された手持ちたちだった。
レッドの前に立つポケモンの数は、正直グリーンが目を丸くするほどの数と種類だった。
希少性の高いポケモンも少なからずいた。
それなのに、レッドが微笑んで言ったのは、「行きな」の一言だった。

「僕のポケモンは、保護指定受けているいないに関わらず、全部取り上げられてた。一番にチェックされるのは僕のボックスだろうし……またすぐに連れ戻されるくらいなら、せめて残りの時間を自由に生きて欲しい。だから逃がした」

主人に行けと言われても、渋ってなかなか動かないポケモンもいた。
それだけレッドを慕っていることが分かった。
また閉じ込められてもいいから、レッドのポケモンでいたいと、そう望んでいた。
それでもレッドは首を縦に振らなかった。

『またね』

そう言って、レッドは全てのポケモンに背を向けて歩いて行った。
もう、追いかけるポケモンは1匹もいなかった。
きっと、ポケモンたちは『またね』の意味を彼らなりに受け止めたのだろう。
あの伝説たちのように、レッドから勝負を再び受ける日を待つのかもしれない。
もしくは、自分から勝負を挑みにいくのかもしれない。
とにかく、レッドは腰の手持ち6匹以外を全て逃がしてしまったのである。

「僕の目の届く範囲、手の届く範囲でしか、今は持てない」
「なるほど…ね」

その真っ直ぐな目に、話を聞いていた3人は幾分か表情を和らげた。

「でも、タイプやバランス、その時々のポケモンの体調を考えたら、違うポケモンが必要になるときもあるのではなくて?」
「いいんです。足りない分は私たちが補いますので」

その時、初めてコトネが口を挟んだ。
サンドイッチを口いっぱいに頬張りながらも、目だけは真剣そのものである。

「そのためにレッドさんのそばにいるんです。何があっても対処して見せます」

ヒビキも同じく真っ直ぐな目で3人のジムリーダーを見据える。
その二人を交互に見た彼女たちだったが、不意に誰からともなく吹き出した。

「ぷぷっ、それはそれは…レッド…あんた随分可愛い子たちたらし込んだじゃない…!」
「た、たらし込んでな…」
「そうです。だから正直グリーンさんがいなくても大丈夫です」
「おい!!」

動揺するレッドとグリーンの前で、ヒビキとコトネは全く動じずにグリーンの顔を指さした。

「だからグリーンさんは、自分が強くなることに専念すればいいんです。レッドさんは任せてください」
「…おまえら」

思わず持ち上がった腕は一瞬で行き場が無くなり、そのまま下ろされることになった。
結局、二人はいつもグリーンとレッドのために動いてくれているのだ。
憎まれ口ばかり叩いていても、全く先輩に対する敬いの態度がなくても、それを差し引いてもおつりが山ほどくるほどのことをしてくれている。
本当に、いつも助けられてばかりだ。

「頼もしいわね」
「…あぁ」
「…少し安心しましたわ。私たちではレッドを守ってあげることが出来なさそうですから」
「…?」

ナツメに続いて言われたエリカの言葉に、グリーンは首を傾げた。
同じくレッドたちからの視線も受けて、エリカは小さく苦笑する。

「今、ジムリーダーたちには再びポケモン回収命令が出されています。今手元にいるこの子たちも、すぐに…今日明日中にはまた手放さなければいけません」

特にジムリーダーのポケモンに関しては、上からの管理が徹底している。
1匹でも見逃されることはないだろう。

「だから感謝しなさいよ、あんた。ポケモンと一緒にいられる貴重な時間をあんたのために使ってあげてるんだからね」

そう怒ったように言うカスミも、目が笑っている。
何だかんだで、このバトルがどのような目的であろうと、皆久々のポケモンバトルが楽しくて仕方ないのだ。

「それに、ポケモンを使っての力添えは出来ませんが、出来る限りのサポートはさせていただきますわ」
「そうそう。情報合戦ならけっこう強いわよ?」
「ジムリーダーの権限はけっこういろいろな場所で使えるし」
「…どうしてそこまで?」

控えめに聞いたレッドに、3人のジムリーダーは顔を見合わせた。
すぐに気まずそうに目をそらす者、ニヤリと笑う者、探るような視線を送る者、見事に反応が分かれる。

「……それは…、この弁当のお礼?」
「あたしは初めて会った時から目つけてたしぃ」
「なっ!抜け駆けは許しませんわカスミ!」

真面目な雰囲気から一変。
ぎゃーぎゃー騒ぎ始めたジムリーダーたちに、レッドは目を丸くするばかりである。

「…どういうこと?」

意味が分からずおろおろするレッドに、ヒビキとコトネはレッドの肩にぽんと手を置いて大きくため息をついた。

「まぁ要するに…」
「グリーンさんのライバルは多いってことね…」

露骨に顔をしかめたグリーンとは反対に、レッドは未だに状況が把握出来ておらず、グリーンとヒビキたちの顔を交互に見るばかりである。
容姿端麗、ポケモンの扱いはピカイチ、料理も上手い、ここまで揃った男子というのもなかなかいないだろう。
実際に、グリーンはレッドと付き合うようになってから、校内でもレッドの隠れファンが多いことに気づいた。
周りは皆ライバルと言っても過言ではないようだ。
今はグリーンのフォローに回っているコトネも、こちらを見る目は鋭い。

「まぁ、とにかくあれだよ。おまえはオレだけ見てればいいってことだ」
「え…?……ぁ、うん……」

しかし、グリーンも誰かにレッドを易々と渡すつもりはない。
周りへの牽制の意味も込めてそう言えば、レッドは驚いたようにグリーンを見た後、じわじわと赤くなってそのまま俯いてしまった。

「グリーンさんってなんでそう恥ずかしいことさらっと言えるんですか!?」
「恥ずかしい!恥ずかしすぎます!」
「…今のはちょっとむかついたわね」
「少し調子に乗っているのではないかしら?」
「少しどころじゃありませんわね…」
「グリーンさん、絶対に潰す…」

そして牽制された側は、皆一様に顔をしかめていた。
背後からは隠そうともしない黒いオーラが立ち上っている。
どうやら牽制と言うよりも、火に油を注いでしまったようである。

「グリーン、それ食べ終わったら、もう一試合するわよ」

カスミが右手でボールを弄びながら、もう片方の手でグリーンの肩を掴む。
ギリギリと強く食い込んでくる指に、一次は引いていた冷や汗が全身から再び吹き出す。
瞬き一つせずにこちらを見てくるカスミは、笑っていながらも背筋が凍るような眼力を放っていた。

「私が勝ったら、レッドと一日デート権獲得ってことで」
「はぁ!?」
「そういうことでしたらわたくしも…」
「勿論私もよ」
「何でだよ!?」

異論は聞かないとばかりに、ジムリーダー3人娘はニヤリと悪い笑みを浮かべた。
結局その後、レッドを渡すまいと、午前以上の集中力と実力でグリーンはバトルを展開していったのだった。








「はぁ~…ったく、休み無しとか、スパルタすぎるぜあいつら…」

結局、ジムリーダーたち(主に女)がグリーンを解放したのは完全に日が暮れきった後だった。
空には朱の名残すらない。
雲があるせいで星も月もほとんど見えないが、多少過剰な街の明かりのおかげで、光の無い空の寂しさは一切感じられなかった。

「でもグリーン楽しそうだったじゃん。いいなぁ…たくさんバトルできて…」

隣を歩くレッドの身体は、当然のように女の姿である。
時折色を変える街の照明のせいで、その紅の目や白い肌はコロコロ色を変える。
それすらも綺麗だと見惚れるグリーンの視線には気づかず、レッドは小さく微笑んでグリーンの手をきゅっと握った。

「みんな…バトルしてる時が一番輝いてる気がする。グリーンも、バトルしてるときはいつもよりかっこよく見えるよ」
「…そ、れは………さんきゅ…」

いきなりのレッドの不意打ちに心臓が過剰反応を示すが、悟られないように平生を装う。
…否、装いきれず声が完全に裏返っている。

「あーあーあーあーあー!!!甘~い雰囲気のところ申しわけないんですが、私たちもいるってこと忘れないでもらえますか?」
「そういうのは二人きりの時にしてください」
「まぁさせないんですけどね!!」

そしてその甘~い雰囲気をぶち壊す不機嫌な二つの声。
特にコトネはレッドと一日デート権を獲得出来なかったため、いつもに増して言葉に棘がある(ちなみにグリーンの必死の猛攻に、誰もデート権を獲得出来なかった)。
更に夢中でバトルしていたためにレッドが女の身体になる時、そばにはヒビキしか居なかった。
苦しむレッドのそばに居られなかったこと、そしてレッドが別室でヒビキに抱きついてその苦しみに耐えていたことから、コトネの機嫌は完全にマイナスの方にメーターが振り切れていた。
「レッドさんに縋られるチャンスが!!」と涙目でヒビキの胸ぐらを掴んで振り回していた姿は記憶に新しい(ちなみに、女のレッドに撓垂れ掛かられて固まったままのヒビキはカツラが発見した)。
その後、あまり多くの目にレッドの姿を晒すわけにもいかず、他のジムリーダーたちも女になったレッドの姿を見ることなく帰路についている。

「ヒビキとコトネは今日うちに泊まるんだよね?昼夜連続で僕の料理っていうのも飽きちゃうかな…?何か既製品買って帰ろうか?」
「いえ!!是非レッドさんの料理が食べたいです!!」
「何でも食べます!!」
「デザートは僕だよvでも全然OKです!!」
「いや、最後のはさすがにないけど…」

「ないのか…」と隣で若干どころではなく気落ちしているグリーンはこの際見なかったことにしておいて、レッドは少し恥ずかしそうに頷いた。

「じゃあ、たいしたものは作れないけど、頑張って作るね」

そんなほんわかした雰囲気の中で、4人の緊張は緩みきっていた。
だからかもしれない。
こちらに向けられる視線にギリギリまで気づけなかったのは。

「………コトネ、30mくらい後ろ、自販機の辺」

最初に気づいたのはヒビキだった。
低く囁かれたヒビキの言葉に、コトネの表情も瞬時に引き締まる。

「……あちゃ~…つけられてたってわけ…」

どうやら思った以上に気が緩んでいたらしい。
カタカタと、危険を知らせようと揺れるポケモンたちにも気がつけないほどに。
レッドも察したらしく、ちらりと視線だけでこちらを窺ってくる。
こちら側が気づいたことに気づかれてはいけない。
コトネは未だに惚けた顔のグリーンの背中を思い切り叩いた。

「いって!!何すんだよ!?」
「なんかむかつきました」

先ほどと同じ調子でそう言ったコトネは、次にグリーンに鋭い視線を送りつつ、限界まで声を落とした。

「次の居酒屋の十字路を右に曲がったら走りますよ、おばかグリーンさん」

つけられてます、と丁寧に付け足せば、やっとグリーンが緊張した面持ちになった。
これだから場慣れしていない奴は…などと思ったりなどしていない。…決して。
コトネはグリーンにも伝わったことを確認すると、再びレッドの方に視線をやる。
小さく頷いたことから、こちらも問題ない。
普段のようにヒビキとコトネの二人で動いている時ならば反対方向に逃げて錯乱することも出来るが、生憎今回のお目当てはレッド一人だろう。
ならば別れて人員を割くのはマイナスにしかならない。
全員で同方向へ逃げて、途中で足止めしていくのがベストだろう。
4人は、ごく自然に居酒屋の角を曲がると、通りから完全に見えなくなった位置から全速力で駆け出した。
レッドも今日はヒールは履いていないため、足を庇うこと無く走っている。
むしろ疲労が溜まっているグリーンよりも少し速いくらいだ。

「右!そのあと左!」

右に曲がってすぐ、再び右の細い路地へと飛び込む。
路地はすぐに十字路になっており、コトネの指示通り一行は左へと駆け抜ける。
これでどれだけ急いで道を曲がってきても自分たちの姿は視認出来ないはず。
それでも嫌な感じが拭いきれず、コトネは走りながらきょろきょろと辺りを見回した。
後ろから追ってきている様子は無い。
なのに、まだどこからか見られている感じがする。
その正体が分からないまま前方に視線を戻せば、ほぼ同じタイミングで前方上空から何かが降ってきた。

「っ!!」

慌てて止まれば、僅かに通りから漏れる明かりでそれがペルシアンだと分かる。
体勢を低くし、今にも飛びかかってきそうなペルシアンからは、明らかに自分たちを足止めしようとする姿勢が見て取れる。

"どうして先回り…!?"

混乱する頭をなんとか整理して、とりあえずここから逃げなければと後方を見る。
今来た道もあちこちに十字路があり、かなり入り組んでいる。
コトネはレッドとグリーンの手を掴むと、そのまま後ろへと引っ張った。

「行ってください!こいつは何とかしますから!」

自分は腰のボールに手をかけたところで、コトネの前に違う背中が立ちはだかった。

「え…」
「コトネも一緒に行って。猫の相手は僕一人で十分だよ。…すぐ追いつくから」

そう言うが早いか、ヒビキはボールを宙へと投げる。
次の瞬間、狭い路地に雄叫びを上げたバクフーンが召還された。
コトネは小さく頷くと、すぐに踵を返してレッドとグリーンの後を追う。
コトネの背中を見送ることなどはしない。、
きっとコトネもこちらを振り返ってなどいないから。
信じてくれているから。
だから、ここは意地でも食い止めなければ。
開口一番、祈りを込めて言い放った。

「バクフーン、"きあいだま"!!」

命中率は高くないが、当たれば一発で瀕死レベルのはずである。
バクフーンの身体から放たれた光の玉がペルシアンへと迫る。

「いけええぇえぇぇっっ!!」
「ニ"ャアァァア!!」

結果、避けようと身体を仰け反らせたペルシアンよりも、バクフーンの攻撃の方が速かった。
攻撃をまともに食らったペルシアンは、衝撃に身体を地面に引きずりながらその場に倒れて動かなくなった。

「っし!ナイスバクフーン!」

自分よりも遥かに大きいバクフーンを撫でようと手を伸ばし、必然的に頭上を仰ぐ形になったヒビキは、その時空に何かを見た。

「…?あれは…」







"なんだろう、この感じ…"

コトネは先ほどから気になっている違和感に露骨に眉をひそめた。
先回りしていたペルシアン、そして、未だに感じる視線。
どうして先回りが出来た?
どうして分かる?
どこから見ている…?

「コトネ!前!」

レッドの焦ったような声に、コトネはハッとして前を見た。
堅いコンクリートを割って飛び出した三つの頭。

「ダグトリオ!?」

立て続けの奇襲。
細い道を塞ぐようにして立ちはだかるダグトリオに、一行は全力疾走に慌てて急ブレーキをかけた。

"どうして!?"

反射的に腰のボールに手を回すが、ダグトリオのほうが一歩動きが早かった。
突如地面から激しく突き上げられ、空中に身体が投げ出される。

「"じしん"…!」

激しい揺れに足で立つことが敵わず、両手で地面に這いつくばる体になったコトネだったが、不意に先ほどとは違う浮遊感に襲われて驚いて目を見開いた。
突風とともに地面が急激に遠くなる。
視線だけをなんとか上げれば、ネオンの微かな光を受けて淡く光る橙色の体躯が目に入った。
確認せずとも分かる、レッドのリザードンだ。
狭い路地で羽がぶつからないよう、ひとっ飛びで建物の上へと躍り出る様は、さすがというか何というか……
しかも3人抱えているのだから、並の馬力ではない。
屋上へと降り立ったコトネは、驚愕でバクバクと五月蠅い心臓を服の上から押さえてレッドへと向き直った。

「レ、レッドさん、ありがとうございました…」
「ん、いいよ。……怪我はない?」
「大丈夫です」

気遣うような声色とその表情に、こんな状況であるというのに肌がぞわりと粟立ってしまう。
よかったと顔を綻ばせ、夜を背景に巨大な相棒を撫でる姿は、言葉に表せないほどに美しい。
見惚れるコトネの視線を知ってか知らずか、レッドはもう一度コトネに向かって微笑むと、リザードンをボールに戻して今度はグリーンの手を引いて乱暴に立たせた。

「貸し一ね」
「上等…倍返ししてやるよ」
「楽しみにしてる」

グリーンはレッドに一方的に助けられてしまったのが悔しいらしく、気まずそうに目をそらせている。
そんなグリーンにレッドは小さく苦笑すると、わしゃわしゃとグリーンの頭を撫で回した。

「グリーンに僕流必勝法を教えてあげる。一つ、"動揺をポケモンに悟られるな"。動揺するのはしょうがないけど、死んでも動揺は表に出さないこと。トレーナーの動揺はそのままポケモンに伝わっちゃうからね。二つ、"ポケモンを信じて、ポケモンの声を聞き逃さないこと"。実際に戦ってるポケモンにしか気づかないこともあるから、ポケモンの一挙一動を見逃さないでね。ここから勝利への道が開けることがたくさんあるよ。そして三つ、"自分が最強だと思うこと"」

グリーンはレッドへと視線を戻した。
こちらに向けられるのは、絶対に勝利を疑わない眼差し。
そうだ、バトルをするときのレッドは、いつでも勝利を確信した目をしていた。
勝つのが当然だと言わんばかりの絶対的自信。
それは同時に、ポケモンへの絶対的信頼をも意味する。
これが、レッドの必勝法。

「………分かった。意識する」
「…うん」

闇の中でも仄かな明かりを受けて深紅に輝く目を見つめ返して、頷く。
その目が優しく細められたところで、背後からコトネの声がかかった。

「レッドさん、見つけました」

振り返れば、緊張した面持ちのコトネが少し先の建物の屋上を睨み付けていた。
同じくそちらへ視線を向ければ…

「…っ!あれは、」
「あれ、コトネ!?レッドさんたちも!」

レッドが目を見開いたのと同時に、隣の建物の屋上のドアから突如ヒビキが姿を現した。
驚いたようにコトネたちの方を見、すぐに先ほどコトネが睨んでいた方へと視線を向けた。

「コトネも見つけたんだね」
「私はたまたまだけど…」

一行が睨む先には、忙しなく羽を羽ばたかせる黒い影。

「クロバット……もしかしてサカキの…」
「もしかしなくても、そうだと思います」

顔をしかめたレッドに、コトネが緊張を含んだ声で返す。
ヒビキが出てきたもう一つ向こう側の建物周辺にいるのは、闇夜に紛れる小さな偵察者だった。
そう、コトネが常時感じていた視線は、このクロバットのものだったのだ。
ヒビキがいる建物とコトネたちがいる建物は、隣り合っている上に、建物同士の間隔が非常に狭く、軽く飛び越えられる距離である。
すぐにヒビキと合流した一行は、こちらを誘うように飛び回るクロバットに向かってボールを構えた。

「気をつけてくださいね。ポケモンがいるってことは…」
「そう、トレーナーも近くにいるということだ」
「「「!?」」」

突如割り込んだ聞き慣れない声に、ヒビキ、コトネ、グリーンの3人は驚愕して後ろを振り返った。

「3人もいて、注意力散漫なのではないかな」
「っ、レッド!!」

視界に映ったのは、闇に溶け込むような黒い服を纏ってそこに立つ、最も会いたくない男だった。
全ての元凶であるその男、サカキは横にフーディンを従え、そして…

「レッドに何しやがった!?離せ!!」

完全に身体が硬直してしまっている様子のレッドへと手を伸ばした。
駆け出そうとするも、足が凍ってしまったかのように動かない。

「くそ!?なんだこれ!?」
「"かなしばり"です、グリーンさん…!」

振り返った姿勢のまま固まってしまった3人を嘲笑うかのように、フーディンが持つスプーンをユラユラと揺らす。
片方のスプーンはグリーンたち3人に向けて。
もう片方のスプーンは、レッド1人に向けて。

「少し泳がせてやれば、好き放題やってくれたじゃないか。おかげでこちらは散らばったポケモンにてんてこ舞いだ」
「よく言うぜ…それに便乗してジムリを監視してたってことだろ?」
「……察しの良い子はあまり好きではないな…」

サカキがレッドのいる店を知っているということは、ジムリーダーであるカツラとレッドが繋がっていることも知っているはず。
そしてジムリーダー同士の繋がりを考えれば、この事態に連絡を取り合わないはずがないのだ。
ジムリーダーたちの動きを確認していれば、レッドの影も見えてくるだろうという算段だろう。
そしてその作戦は見事に成功したことになる。

「しかし、君たちに用はないな。私はレッドに協力してもらいたいことがあって迎えに来たんだ」

サカキは今度こそ伸ばした手でレッドの頬へと触れた。
レッドが僅かに表情を強ばらせるも、そんなことはお構いなしにその頬をゆっくりと撫でる。

「…っ!!触んじゃねえ!!」

怒気を露わにしたグリーンの叫びにも、サカキは小さく笑んだだけだった。


















→17