身体が熱い。
緊張と興奮とが一緒くたになって全身を駆け巡り、肌がビリビリ震える。

……やっぱりやめられない。たまらない。

この沸き上がる衝動を押さえ込むことなんて出来ない。
胸の高鳴りが止まらない。
楽しくてしかたない。

「いくよピカチュウ!"ボルテッカー"!」

タイミングは完璧。
尾を天高く振り上げたピカチュウの、電撃を纏った渾身の特攻。
瞼の裏まで焼かれるような光が目を、地を揺るがすような轟音が耳を襲う。

楽しい。愉しい。タノシイ。
まだ、足りない…

相棒が砂塵と煙の中から飛び出すと同時に、勢いよく腕を振り上げ次の指示を与えようと…

「そこまでじゃレッド!」
「…っ!」

したが、割って入った叫びにはっと我に返った。
視界が晴れて、そこにあらわになる光景。
地に伏してピクピク震えるウインディと、唖然としたマスターが突っ立っていた。














         15









「……ご、ごめんグリーン」

レッドはオロオロしながらグリーンへと歩み寄った。
保護指定ポケモンのポケモンセンターでの回復は出来ないのだから、極力瀕死は避けなければならないことは承知しているつもりだったのに。
…つい、楽しくて引き際を誤ってしまった。

「いや、おまえが謝ることじゃねぇだろ。こっちの実力不足も大きいし…」
「でも…」

しゅんとするレッドに苦笑すると、グリーンは優しくレッドの頭に手を置く。
…が、その手はすぐにピカチュウの長い尻尾によって弾かれてしまった。
些か驚いてピカチュウを見れば、見事なガンを飛ばされる。
誰だろう、ピカチュウが愛らしいなどといった人は。
固まるグリーンに一瞥をやると、ピカチュウは見せ付けるようにレッドの胸の中へとその小さな身体をおさめた。
そしてこちらをちらりと見たときの、こちらを嘲笑うかのような表情。

「こんのクソ鼠ぃぃ~!!」

思わずピカチュウに掴みかかろうとしたグリーンだったが、ピカチュウを胸に抱いたレッドがピカチュウを庇うように抱きしめたため、その行動は見事に阻まれた。

「ごめんってばグリーン!指示出したのは僕だし、ピカチュウは何にも悪くないよ…!」
「…いや、だから…」

どうやらレッドにはあのピカチュウの不遜な態度は見えていなかったらしい。
怒りに震えるグリーンが睨むと、ピカチュウは脅えたようにレッドの胸に顔を埋めてしまう。

"このぶりっ子が…!"

レッドの前ではいい子ちゃんなのは分かっているつもりだったが、ここまでくるとさすがのグリーンも堪忍袋の緒が切れそうだった。

「まぁ、確かにレッドがやり過ぎたのは認めるが、おまえさんもそんなんじゃあレッドを越えるなんて夢のまた夢じゃぞ…?」
「………」

割り込んできた第三者の言葉に、グリーンは返す言葉が見つからず視線を落とした。
そうだ。
こんなペースではレッドを越えるどころか、到底レッドに並ぶことすら叶わない。

「そんなこと…自分が一番分かってます…」

落とした視線を再び持ち上げれば、その第三者の顔が視界に入ってくる。
目を隠す丸いサングラスに、上質そうな白のハットとベスト、そしてたっぷりの髭。
レッドから聞いた話だと、この人がサカキの元から逃げてきたレッドを保護してくれたらしい。

「ワシのジムをこっそり貸してやっとるんだから、強くならんと承知せんぞ」
「ありがとう、カツラさん。迷惑かけてごめんね…」
「いやいや、レッドは何も気にしなくてもいいんじゃよー」

途端、相好を崩したカツラと呼ばれた男性がレッドの方を振り返る。
このグリーンとの扱いの差。
しかし先ほどの言葉通り、彼からは多大な恩恵を受けているわけであり、グリーンには感謝こそすれ、文句を言う資格などない。
そう、ここはカツラが所有するポケモンバトル用のジム。
保護条例が出される前は、ここでしばしばバトルが行われていたらしい。
少し見るだけで、年季は入っているが大事に扱われていることがよく分かる。
使われなくなった今でも手入れは怠っていないのだろう。
今では封鎖されていることになっているから、見つからない分には思う存分バトルをすることが出来る。

「でも…あの店の地下にこんなところがあるなんて…」

グリーンはしみじみとジムの全景を見渡した。
このジムはレッドが働いていた店の真下に位置する。
この上ではお姉さんたちが現在も接客をしているのだ。

「グリーンはこういうジムでバトルしたことないの?」

こてんを首を傾げるレッドは、可愛い…ではなく、おそらくこのような場所でのバトル経験が少なからずあるのだろう。
グリーンは、「ない」と答えて小さく肩を竦めた。
レッドから聞くに、各地にこのようなジムというものが存在し、そこで実力を認められると証としてバッジをもらえるらしい。
それを指定個数集めると、リーグに出ることが出来るということだが…
地元からあまり出ないグリーンには縁のない話だった。
そもそもグリーンは、バトルは勿論好きだが、祖父の影響もあり、昔から収集や育成のほうに力を入れてきた。
リーグの存在は勿論知っていたが、コトネからレッドがリーグチャンピオンだと聞いても、イマイチどれくらい凄いのかが分からなかった。
しかしジムで認められた者だけが参加出来るという時点で、参加者は皆かなりのレベルを有する者たちなのだろう。
その中のチャンピオンなのだから、レッドの凄さは計り知れない。

「…レッドは呪いにかかる前にここでバトルしたことあんの?」
「あるよ。随分昔にだけど…」
「ぬわにぃ!?そ、それは本当か!?じゃあワシにも会ったことがあったのか!?」

そこでカツラが血相を変えてレッドの肩を掴んだ。
どうやら覚えているのはレッドだけだったらしい。
レッドは苦笑しながら小さく頷いた。

「でもまぁ、カツラさんが覚えてないのも仕方ないよ。今と違ってちゃんと男だったし。何年も前の話だし…」
「いやいや…!こんな可憐な子を忘れるなど、一生の不覚…!」
「…だから男だったんだってば…」

眼の色も黒だったし、今と印象が違いすぎるだろうとカツラを窘めるレッドは、今は女の姿である。
今は日も落ち、外の通りは飲兵衛や客引きの女性、はたまた男性で溢れている。
場違いな夜の雰囲気にグリーンが気圧されながらもレッドに連れられてやってきたのが、ここ、カツラの店だった。
まさかまだ店の娘として客を取るために来ているのかと危惧したグリーンだったが、フロアを通り抜けて行き着いたのは、そんな空気とは一線を引いた荘厳なバトルフロア。
いきなりボールを構えられてグリーンが驚愕したのも無理の無い話だった。

「いやー…しかし、まぁ、ワシからバッジ、貰っとるわけじゃろ?」
「まぁ、そういうことになるね」
「こりゃあ大変じゃぞー…レッド」
「…どういう意味で?」

そこでカツラはちらりとグリーンのほうを見た。

「だって、ワシ、こいつに負ける気しないんじゃもん」
「なっ!?」

さすがにかちんときて、グリーンはカツラを睨んだ。
カツラはそれに気づいていないのか気づかないふりをしているのか、大げさに手を横に上げてみせる。

「こりゃあレッドを超えるどころかワシさえも倒せないんじゃないかのー」
「な、舐めんなよ…」
「お?怒ったか?」

ニヤリと口元を歪めて、カツラはやっとグリーンの方に向き直った。
グリーンからははらはらしながら二人を交互に見つめるレッドがよく見える。
その困惑を隠せない様子のレッドの方に、カツラはもう一度顔だけ向けると、どことなく楽しそうにレッドに問いかけた。

「レッドはこやつが自分よりも強くなると本気で思っとるのか?」
「思ってるよ」

先ほどの困惑ぶりとは打って変わった迷いの無い返答に、逆にグリーンが驚いてレッドを見る。
カツラはというと、更に楽しそうに口端をつり上げて、無駄のない動きで腰からボールを取り外した。

「レッドのお気に入りとは羨ましいのぅ。…まー、せっかくだからワシが少し遊んでやってもいいぞー」

自分の前に出たカツラにレッドが目を見開き、そして少し不機嫌そうに眼を細める。

「…僕、まだグリーンとバトルしたいんだけど」
「駄目だな~。レッドは現在進行形で強くなっとる。グリーンとやっても差が開いていくだけじゃ」

バトルをすればするだけ、レッドの実力は上がっていくという。
勿論、今のグリーンとのバトルででも。
レッドのレベルに上限は無いのかとグリーンが内心舌を巻いているうちにも、カツラはほれほれとボールを持った手を振ってグリーンをフィールドへと誘っていた。

「まずはワシを倒してみぃ。話はそれからじゃろ?」
「…望むところだ」

レッドは不満そうにしながらも観戦する体勢に入ったらしい。
ピカチュウを抱き直して、フィールドの正面にある備え付けのベンチに大人しく腰を下ろして成り行きを見守っていた。

「それじゃ、バトル開始だ!!」










「それで?結局負けたんですか?」
「………」

天気が良い。
髪を攫う風も、肌へと降りかかる陽光も、爽やかで気持ちが良い。
……しかしグリーンの気分は最高に悪かった。

「…なんか文句あるのかよ……っていうか、いっつもいっつも俺とレッドの二人だけの時間を邪魔しやがって!出てけよ!違う場所で飯食えよ!!」
「え~!グリーンさん、そんな堅苦しいこと言わないでくださいよぅ~」
「そうですレッドさんのお手製弁当独り占めなんてずるいですよ!」
「うっせえこのハイエナども!!」

今日も変わらず、昼休みの屋上は賑やかだった。
レッドは言い合いを続ける先輩後輩コンビなど目もくれず、目の前の弁当を食すことに集中している。
傍らにはお弁当箱が2つ。
一緒に昼食を共にすることが多くなったヒビキとコトネのために、レッドは最近おかずを多めに作るようになっていた。
今日のおかずは、グリーンのお気に入りの人参とゴボウの肉巻き、大学芋、ほうれん草のごま和えなど。
デザートにはアーモンドスライスを散りばめたチョコマフィンも用意していたりする。
あまり凝ったものは作れないが、美味しそうに食べてくれる3人を考えると、食べて欲しいなと思ってしまう。
グリーンとしてはレッドの料理を独り占めしたいようで、ヒビキとコトネの分まで持ってくるとあまりいい顔をしなかったが。

「ぷぷ、グリーンさん、悔しいんですね…眉間に皺寄りまくりですよ?」
「うっせぇなぁ!」
「まぁはじめから強い人なんていないですからね。これから強くなっていけばいいんでしょう?というか、そういう覚悟なんですよね?それとももう折れちゃいましたか?」
「そうそう。それにまず勝ち負け、強い弱いの前に、グリーンさん、周りが全然見えてないですよ?そんなんじゃトレーナー以前に人としても駄目駄目です」

言いたい放題の二人に、グリーンは更に眉間の皺が深くなるのを感じたが、コトネの最後の言葉に小さく首を傾げた。
周りが見えていない…とは。
グリーンの思考を察したのか、コトネは仏頂面のまま、視線だけでちょいちょいと横を示した。
横…隣にいるのはレッドだ。
ちらりと、こちらには目もくれずに食事を進めるレッドを見れば……
コトネの言いたいことが分かった気がした。

「レッド…」
「…何?」

素っ気なく帰ってきた返事。
無視されるとまではいかなかったが、レッドはちらりとこちらを見ただけで視線をすぐに弁当の方に戻してしまった。
これは…大変宜しくない。

「えっと、その………」
「………」
「……良い天気だな」
「「アホかーーー!!!!!」」

瞬時にヒビキとコトネの強烈なツッコミがグリーンの脳天へと炸裂した。

「何ですか!?何なんですかあんたは純情少年ですか!?」
「せっかくやったチャンスを!!いい加減にしないと本気でレッドさん貰っちゃいますからね!?」
「お、おまえら…!!」
「…グリーンはずるい」
「え…」

攻撃を食らった脳天を押さえながら、怒りのまま後輩二人に向かって開けられたグリーン
の口は、レッドから零れた小さな声に再び閉じられることになった。
恐る恐るレッドのほうを振り返れば、箸を置いて空になった弁当箱をじっと見つめている。

「ずるい。カツラさんともやって。また明日もやるって。……僕だって…僕だってしたい。グリーンとしたい…!」
「えっと…」
「もっと熱くなりたい。もっとドキドキしたい。他のことなんて何も考えられなくなるくらい。…足りない…全然足りないんだ…!お願い、僕を絶頂まで連れて行ってよ!ねぇグリーン…!」

先ほどまでの静けさが嘘のように、涙を浮かべてグリーンににじり寄るレッド。
グリーンは完全に度肝をぬかれて固まってしまっている。

「なんか卑猥な感じに聞こえますけど、バトルの話ですよね?」
「よーするに、レッドさんはバトルがしたい。でも出来なくて辛い、と…」
「それなら…」

ヒビキとコトネは顔を見合わせると、にやりと笑った。

「レッドさーん!明日私たちと良いところ行きましょ~!」
「絶対楽しいですから!しかもレッドさんの欲求を満たせること間違いなしです!」
「っ!?」

いきなり片腕をそれぞれヒビキとコトネに捕まれたレッドが、驚いて目をぱちくりさせる。

「良いところ…?」
「そうです!絶対レッドさんはまっちゃいますよ~」
「…おいおまえら…いったいレッドを何処に連れてくつもりだ…?」
「グリーンさんは明日も特訓ですよね?僕たちのことは気にせず存分にバトルしてきてください。レッドさんは1日借ります」
「いいですよね?レッドさん」

よく分からないまま、レッドは二人の勢いに飲まれて頷いてしまったのだった。









そして次の日、土曜日の朝。
レッドは家まで押しかけてきたヒビキとコトネに連れられ(ちなみにレッドは二人に住所を教えた覚えは無い)巨大なドームの前まで来ていた。
青を基調としているのに、入り口は派手に金という、一言で言ってしまえばゴテゴテした外観。
僅かに中から歓声のようなものが聞こえてくるが…
さっぱり中で何が行われているのか分からない。
首を傾げるばかりのレッドに、コトネとヒビキは楽しそうにドームを指さした。

「ポケスロンドームです!最近オープンしたんですよ!」
「もうこれが面白くてはまっちゃうんです!レッドさん多分初めてですよね?」

こくりと頷くと、二人はニコニコしたままレッドの手を引いた。
そのまま金色の入り口をくぐり、中へと足を踏み入れる。
ドームの中は外観にそぐわないほど暗く、レッドは思わず入り口付近で足を止めてしまった。
瞬間、床が水色に発光して更に驚く。
内装はネオンがメインのようで、暗いにも関わらず時折発光するネオンのせいで目がちかちかするほど眩しかった。
困惑気味のレッドに気づいたのか、ヒビキは苦笑しながら「大丈夫ですよ」とレッドの手を握り直した。

「ここはポケスロンっていう…なんて言うんですかね……そう、ポケモンのスポーツ大会みたいなものをやってるんですよ」
「ポケモンで…?」
「そうです。ハードル走とか、サッカーみたいなのとか、雪合戦とか…とにかくいろんな競技で勝敗を競うんですよ」
「勝敗を…競う…」
「ポケモンとの意思疎通が競われるって言っても過言ではないですよ。難しいですけど、コツを掴むと止められなくなっちゃいます!」
「………」

レッドの眼がキラキラし始めたのに気づいて、コトネは心の中でガッツポーズを取った。
「ポケモン」「勝負」この二つがあれば、きっとレッドは食いつく。
ヒビキとコトネの策略は見事に成功したことになる。

"始終グリーンさんのこと考えられるのもこっちとしては楽しくないし…"

「今日はぱーっと遊びましょう!」





「ようこそ!こちら、ポケスロン参加受付です!」

ポケスロンでは、自分のポケモンは勿論、ポケスロン自体が所有するポケモンも借りることが出来る。
保護条例で規制されているポケモンも、ポケスロンが所有するものは責任を持って監督するという契約の元使用することが許可されている。
よって、規制対象外の自分のポケモンを使う人と、規制対象のレンタルポケモンを使う人が半々くらいとなっている。
ちなみにレッドはレンタルポケモンと偽り自分の手持ちポケモンをメンバーに紛れ込ませていたりする。
ばれたらやばいどころでは済まないが、これだけはレッドは頑として譲らなかった。
コトネもヒビキもその気持ちだけは痛いほど分かるので最後には渋々頷いてしまったのだが。
しかし、レンタルポケモンには『レンタル』と分かるラベルが貼られているわけでもないし、端から見ればそれがレンタルポケモンかそうでないかはまず分からない。
ヒビキとコトネが参加した限りでは、ポケモンの個々のチェックがされていた記憶は無い。
一度会場に入ってしまえば疑われることは無いだろう。…多分。
そう無理に納得して、ヒビキとコトネもレッドに続いて受付へと並んでいた。

「どちらのコースに参加してみますか?」
「…え、えっと…スピードコースで…よ、よろしくお願いしま、す…」

ポケモンを選び終わり、受付のお姉さんと緊張混じりに話すレッドの姿にヒビキとコトネもほっこりしたものだ。
しかし、ほっこりはここまでだった。


「速い!速い!何というスピードだーー!!そしてノーミス!!紅(コウ)チーム、ダッシュハードル1位だ-!」

「な、何というテクニック…!敵を華麗にかわし、後ろから不意を突き、スティールフラッグ、またもや紅チーム1位!!」

「速い!速すぎる…!!チェンジリレー、他の選手と圧倒的な差を付けて紅チームが1位!!」

「ポイント王は、紅チームのピカチュウ!あのスピード、テクニック!まさにこの部門に相応しい勇姿でした!!さぁて、気になる競技のポイントが今足され……あぁーー!!100ポイント以上の差を付け、紅チームが圧倒的勝利ーーー!!!!もうもう、スピードメダル持ってけーー!!誰も文句はあるまい!!!これからもポケスリートの頂点目指し、頑張ってください!というわけで、ポケスロン、フォーエバー!!」

「…まぁ、予想してなかったわけじゃないけどね」
「うん、しょっぱなから飛ばしてくれるねレッドさん…」

ヒビキとコトネは観覧席で頬杖をついてレッドの暴れっぷりを眺めていた。
つくづく同じ回でなくてよかったと思わずにはいられない。
というか、同じ回の皆様はご愁傷様です、だ。

そして空が夕暮れ色に染まり始めた頃、レッドはトロフィーを両手いっぱいに抱え、至極満足そうな表情でポケスロンドームの門をくぐっていた。

「ぱないっす…僕、正直レッドさんのこと舐めてました…」
「私も……まさか半日で友情の部屋まで行ってしまわれるとは…」

僕たちでも数ヶ月かかったのに-!と嘆くヒビキの方を、レッドは機嫌よさげに振り返る。

「ありがとう、ヒビキ、コトネ。すごく楽しかったよ?」
「まぁ、賞品根こそぎ奪われた引換所のお姉さんは全然楽しそうじゃなかったですけどね」

そう、レッドは今日一日ポケスロンに参加しただけで、メダリストポケモンを続々と輩出し、しまいには全競技で最高記録を出してしまったのである。
これにはさすがの二人も開いた口が塞がらなかった。

「まぁ、ポケモンのレベルは上がりませんけど、たまにはこういうバトルもいいんじゃないですかね?」
「思い詰めてばかりいても潰れちゃいますよ。パーッと発散しないと!」
「…うん、ホントにありがと」

結局ポケモンの不正もばれず、無事にドームから出てくることが出来た。
自分を気遣って連れ出してくれて、我が儘も聞いてくれて…
こんなに暖かいものをいっぱいもらって、本当に幸せだなとレッドは思う。

「…グリーンは良い後輩を持ったね」
「何言ってるんですか!レッドさんの後輩でもありますよ?」
「え…」

驚いて二人を見れば、ニコニコしながら腕に絡みついてくる。

「私たち、レッドさんが先輩で幸せです」
「こんな守り甲斐のある先輩なんてなかなかいませんしね」

かっこいいし、可愛いし、強いし。
なのにたまにすごく涙もろいところがあって…

「だからどんどん頼ってください。私たちは全力で力になります。微力でも…レッドさんのために何かしたいです。させてください」
「ホント、出来た子たちだね…」

レッドは困ったように笑うと、それじゃあ…と少し溜めてから、申し訳なさそうに足を止めた。

「人気が無くて、少しの間籠もれる場所が欲しいな」
「え…」
「それって…」

レッドはちらりと沈みゆく夕日を振り返った。
完全に、時間を忘れて遊びすぎた。
家に帰る前に日が沈みきってしまうのは確実である。
ヒビキとコトネはハッと顔を見合わせると、瞬時に青ざめた。

「人気が無くて、籠もれて、ついでに不審がられずに休める場所…!えっと!えっと!」
「と、とりあえず一つしか思い浮かばない」
「「…カラオケ!!」」

二人は同時に叫ぶと、近場のカラオケボックスへとレッドを先導したのだった。





***





次の日、起きて朝ご飯を作っていたレッドの元に、再びチャイムが鳴り響いた。

「レッドさーん!おはようございまーす!」
「起きてらっしゃいますかー?」

ドアの外から聞こえてくる元気の良い声に、レッドは少々驚いてドアへと向かう。
ドアを開ければ、予想通りの後輩二人組がニコニコしながら立っていた。

「どうしたの…?」
「いえっ!レッドさん今日はもしかしてグリーンさんのところに行くんじゃないかなーと思いまして…!」
「どうですか!?」
「…い、行くつもりだけど」

とりあえず入りなよ、とレッドは二人を中へ通した。
朝ご飯と弁当を作りかけなので、どちらにしろまだ出掛けられない。
二人は丁寧に「お邪魔します」と一礼すると、綺麗に靴を揃えてからリビングへと入る。

「レッドさん、昨日はすみませんでした。僕たちの配慮が足りなかったばっかりに…」
「何言ってるの。すごく助かったよ?それに昨日はすごく楽しくて素敵な一日だった」
「レッドさん…」

感動して眼を潤ませる二人に苦笑すると、レッドはソファーを勧めて自らはキッチンへと戻った。
昨日は結局カラオケボックスに籠もり、そこで女へと変わってしまった。
これでヒビキとコトネにも直接見られてしまったわけだが、何故だか不快感は無かった。
誠実に接してくれるからだろうか。
彼らになら弱みも見せてもよい、そんなくらいに自分は気を許してしまっているらしい。

"ホント…不思議な子たち"

くすりと小さく笑うと、レッドは先ほど中断した卵溶きを再開する。
そしてふと手を止めると、ソファーへと座った二人へと身体を反転させた。

「朝ご飯は…食べてきたよね?昼はどうするか決まってる?よかったら君たちの分もお弁当作るけど…」
「「お願いしますー!!」」

間髪入れずに返答が来て、レッドは思わず軽く吹き出してしまった。
「分かった」と返して再び作業を再開する。
卵と調味料をを二人分足して溶き終えると、レッドはふと思い出して昨晩作ったミルクプリンを冷蔵庫から出した。
苺とミントだけ添えると、ソファーに座る二人の前のテーブルへと持って行く。

「待ってる間、よかったら食べて?余り物で申しわけないけど…」

これは手持ちのポケモンのために昨晩急遽作ったものである。
ピカチュウがせがむので、どうせなら他の子たちにもと多めに作ったのだが、作って正解だったようだ。
ちなみに今の二人分で最後。グリーンの分は無くなった。
まぁ言わなければ問題ないだろう。
ぷるんと美味しそうに揺れるミルクプリンを差し出された二人は、眼をキラキラさせながらレッドのほうを見た。

「た、食べていいんですか!?うわぁあぁあこんなに頂いちゃって罰が当たらないかな!?」
「ありがとうございます!天使ですか!エンジェルですかレッドさんんん!!」

大袈裟なほど大喜びすると、二人は幸せを噛み締めるようにミルクプリンを食べ始めた。
この二人に食べて貰うと、自分まで嬉しい気持ちになる。

「ありがとね」

小さく呟くと、レッドは今度こそキッチンへと籠もった。
自分の朝ご飯をつまみつつ、4人分の弁当を作る。
少し考えてから、出してあった豚肉で、ヒビキが好きな生姜焼きと、コトネの好きな照り焼きも作ることにしたレッドだった。









「…こ、こんなところにグリーンさんいるんですか…?」

夜は色とりどりのネオンが輝き、華やかに着飾った人々が往来するこの通りも、昼間は息を潜めているように静かだ。
しかし、表に出る看板や外観で店の雰囲気は嫌でも伝わってくる。
実際にたどり着いた店の前で、ヒビキとコトネは表情を引きつらせていた。

「…入りたくないならいいけど」
「いえ、入ります!」

何の抵抗もなく階段を上り店のドアを開けるレッドに、二人ははっと我に返って慌てて後ろに続く。
写真や料金表が貼られている豪華な入り口付近を通り、真っ赤な絨毯が敷き詰められたフロアを抜け、更にその先のバトルフロアへ…

「っ!カツラさん!」
「おぉぉ、レッドか!?」

入る前に、手を伸ばした先のドアが内側から開き、見知った人物が姿を現した。
お互いに驚いて動揺しつつも、レッドはぺこりと頭を下げた。

「おぉぉぉ、男のレッドを見るのは久々じゃなぁ…」
「まぁ、いつもお邪魔するのは夜だったし…」
「って、しまっ…」

後ろにいるヒビキとコトネに気づいたカツラが慌てて口を押さえるが、レッドは「大丈夫」と苦笑した。

「この二人は僕のこと知ってるから、問題ないよ」
「そ、そうか…」

意外そうにレッドを見、そして後ろの二人を見てカツラはため息をついた。

「コーヒー煎れてきたんだけど、どこか行くの?」

魔法瓶を鞄からのぞかせてレッドが言うが、カツラは大袈裟にやれやれのポーズを取って首を振った。

「ちょいとそれだけでは足りんくてなぁ…ポットを取ってくるよ」
「…?グリーンは…来てるんだよね?他に誰かいるの?」
「行ってみれば分かる」

それじゃあすぐ戻るからなーとひらひらと手を振って去って行くカツラを見送り、レッドは首を傾げながらもバトルフロアのドアを開けた。
そしてすぐに、カツラの言葉の意味を理解した。

「今だバンギラス、〝いわなだれ〟!!」
「甘いわ!ルージュラ、〝ふぶき〟!」

ドアを開けた瞬間に吹き付けた寒風と、足下を揺らす激しい地鳴り。
どうやらバトルの最中らしい。
しかし、誰と誰が…?
入り口付近にまで及ぶ技の影響で、バトルフィールドに立つトレーナーの姿は隠れてしまっている。
舞う粉雪と砂塵がおさまってくると、フィールドの端にいるグリーンの姿がやっと視認出来た。
そして、肩で息をするグリーンの対極に、長い黒髪の女性。

"…あの人、どこかで…"

もっとよく見ようと身を乗り出したレッドに続いて、ヒビキとコトネも後ろからフィールドを覗く。
しかし記憶を探る暇も無く、レッドはいつの間にかジム内にいた人たちに取り囲まれてしまっていた。

「…っ!」
「あれ、もううちら以外来ないんじゃないの?」
「カツラさんのお知り合い?」

こちらを覗き込んで首を傾げる、明るい橙色の髪の快活そうな女性。
後ろには着物を着こなす、肩上で綺麗に髪を切りそろえた可愛らしい女性。
少し向こうには、金髪でガチムチなサングラスの男性も見える。
そうだ、皆どこかで見たことがあるのだ。
これは…

「ジムリーダー…?」

そう呟けば、お、というように橙色の女性が目を大きくした。
じろじろとしばらくこちらを見ていたが、ぽんと手のひらを叩いて顔を明るくする。

「どっかで見たことあると思ったら、あんた、あれじゃない!えっと……そう、レッド!」
「レッド…?…あぁ、思い出しましたわ!」

すると後ろの着物女性もこくこくと相づちを打つ。
レッドは覚えられていたことに驚きつつも、ぺこりと頭を下げた。

「いや~、大きくなったわぁ。一瞬分からなかったもん。…しかしまぁ、良い感じに育ったわね」

ニヤニヤと全身を眺めてくる橙色の女性から目をそらせば、ぽかんとこちらを見ているヒビキとコトネと目が合った。
縋るような視線を送れば、二人は即座にレッドと女性の間に割り込んでニッコリと人好きのする笑みを浮かべる。

「ジムリーダーの方なんですか!」
「じゃあレッドさんとバトルしたことがあるんですか?」

割り込んできた第三者たちに目をしばたたかせながらも、女性は「そうよ」と頷いた。

「私はハナダでジムリーダーやってるカスミっていうの。まぁ、今はもちろん休業中なんだけどね~。レッドとは数年前にバトルしたことがあるわ」
「よく覚えてましたね、一挑戦者の顔なんて…」
「そりゃあ、可愛い顔してるなぁって思っ………たのも、あるけど、あれね。ちょっとピカチュウにフルボッコにされたのがトラウマっていうか…」
「…あぁ~…」

ハナダのジムといえば水タイプが主のはずだ。
なんとなく光景が浮かぶ気がしてヒビキとコトネは感慨深げに頷いた。

「私も2,3年前にレッドと戦いましたわ。とても良い試合でしたので、今でもはっきりと覚えています」

あのリザードンにやられた痛みは今でも忘れていません、とニッコリと微笑む着物の彼女は、タマムシのエリカと名乗った。
その笑顔が何故だか怖かった。

「…で、そのような方々がどうしてここに…?」

首を傾げたコトネに、カスミは笑ってバトルフィールドの方を指さした。
その先にはこちらに気づかず戦い続けるグリーンの姿。

「カツラさんに頼まれたのよ。しごいて欲しい奴がいるから協力してくれないかってね。まぁ、日曜で暇…だったわけでもないけど、同じジムリーダーのよしみとして来てあげたってわけ」

なんか面白そうだったしね、と笑うカスミにエリカも頷く。

「ジムの営業が禁止されている今、やれることは限られていますしね。それに先日取り上げられていたポケモンが帰ってきましたの。私もバトルがしたくて、つい承諾してしまいましたわ」

うふふ、と上品に笑うと、エリカはフィールドの方を向いて目を細めた。

「カツラさんから言われてどんなものかと思いましたが…なかなか見所のある青年ですわ…」
「グリーンが…?」
「えぇ、今…5人抜きまでいきましたか?」
「…っ!」

レッドが息をのむ。
カツラが助っ人を頼んだということは、もう昨日の時点でグリーンはカツラに快勝したということだろうか。
一昨日はバカにされるほどだったのに…

「っしゃあ!次来いよ!!」

その場で雄叫びを上げるドサイドンと、地に伏すルージュラ。
どうやら勝敗がついたようだ。
エリカはそれでは、とレッドに一礼すると、優雅にフィールドに降り立ち黒髪女性と場所を入れ替えた。

「お手柔らかにお願い致しますわ!」

言うやいなや、着物の裾から出したボールを宙に放る。
グリーンのポケモンの状態は先ほどの勝負のまま。
本当に休む間も無し、だ。
グリーンはドサイドンを引っ込めると、ウインディを繰り出した。

「そりゃあ出来ねえ相談だな!」

先ほどまで氷が舞っていたとは思えないほどの熱気にジム内が包まれる。
こちらまで伝わってくるビリビリとした緊張感。
レッドはごくりと生唾を飲み込んだ。

"すごい、すごい、すごい…"

心臓がばくばくと鼓動を速める。
今ので6人抜き…これでまた勝てば7人抜き…

「……レッドさん目がいっちゃってるよ…」
「やばいんじゃない?これ…」

ヒビキとコトネはバトルに目が釘付けになっているレッドを心配そうに眺めていた。
今にも、「僕も混じる!!」と言わんばかりの目つきである。
先ほどすれ違ったカツラという人物がレッドとグリーンを戦わせないのは、これ以上レッドのレベルが上がらないようにという配慮だろう。
それが分かったから昨日はポケスロンに連れて行ったのだが…

「……次はサファリパークとかに連れ出す?」

ヒビキがぽそりと呟けば、コトネもそうだねと静かに頷いた。
バトルはグリーンの優勢で進んでいる。
一昨日は話にならないレベルで、昨日でカツラを完封、そして今日はジムリーダーを6人抜き…
いったいどれだけの潜在能力を秘めていたのだろうか。

「…よく考えれば、グリーンさんって普段全然バトルとかしてなかったよね」
「うん、定期バトル以外はほとんど断ってたし…」
「………もしかして、もっともっと強くなるんじゃ…」
「なるよ」
「「!!」」

自分たちの声などレッドの耳に入っていないと思っていたので、ヒビキとコトネは思わず大きく跳ねてしまった。

「なる…グリーンは、もっと強くなる…!」

バトルからは一瞬たりとも目を離さずにレッドが言う。
ヒビキとコトネもグリーンがバトルするフィールドへと視線を移した。
確かに、戦い方が今までの定期バトルとまるで違う。
自分のポケモンというのも大きいのだろうが、機転が回るようになったというか、バトルの幅が広がったというか…

「なんというか、きっと良い意味でレッドさんの影響も大きいんだろうね」
「うん、バトルに迫力が増した…」

熱気と緊張で観覧しているだけのこちらまで手汗が滲む。
今のグリーンは、きっとあの文化祭の時とは比べものにならないくらい強い。

「まぁ、認めてあげないことも…ないです」

コトネが呟いた時、グリーンのドサイドンが地響きと共に地に伏した。
そのそばに、くるりと可憐に宙で一回転したキレイハナが降り立つ。
キレイハナのソーラービームがドサイドンに決まり、勝負はついた。

「……くっそ!」

ドサイドンが最後の一匹だったらしく、グリーンがフィールドに膝をつく。
顎まで伝った汗を乱暴に拭うと、そのまま悔しげに床に拳を打ち付けた。

「とてもよい勝負でしたわ。5対5でしたら私が負けていました」
「……ありがとう…ございました…」

うなだれたまま頭を下げたグリーンに、エリカは優しく微笑む。

「6人抜きですのよ?充分じゃなくて?」
「いえ…まだ…全然足りません…全然……」
「グリーン!!」

下を向いていたため、誰かが近づいてきていることにも全く気がつかなかった。
いきなり耳元に響いた声に、グリーンは驚いて顔を上げる。
目の前に飛び込んできたのは…

「レッド!?」
「お疲れ様…!」

タックルするように抱きつかれて、グリーンは踏ん張りきれずにその場へと転がってしまった。
視界にはフロアの天井と、頬を紅潮させたレッドの顔。
フィールドに仰向けの状態だが、そんなグリーンにはお構いなしにレッドは上に乗るような体勢のままグリーンへと微笑んだ。

「すっごいドキドキした」
「……負けたとこ、見られちゃったな。情けねぇ…」
「ううん。すごかったよ…?」

ゆっくり身体を起こせば、レッドも大人しく上からどいて横へとずれる。
大きく息を吐いたグリーンは、髪はボサボサ、身体も砂埃や汗でどろどろだった。
しかしそんなことなど気にせずに、レッドは再び半身だけ起こしたグリーンへと抱きつく。

「やっぱグリーンはかっこいいね」
「……えっと…」

どういう状況かをやっと理解したグリーンが、じわじわと赤くなる。
抱きしめ返したい衝動に襲われたが、グッとこらえてレッドを引きはがそうと試みる。
ここは人前だ。
二人きりの時ならばともかく、この場ではあまりよろしくない。
というか、目の前のエリカの笑みが怖い。
四方から放たれる周りの視線も怖い。
ポットを持ったまま固まっているカツラも怖い。

「レ、レッドとりあえず落ち着け休憩にしようフィールドから出よう」
「あ、うん!僕弁当作ってきたんだけど、グリーン食べるよね?」
「お、おう勿論だぜ!」

食べるが、とりあえず今はここから避難しなれば危ない。
エリカがキレイハナを未だにボールにしまっていないのが危ない。
周りの人物もちらほらボールに手をかけているのが危ない。
グリーンの心中などつゆ知らず、レッドは満面の笑みでグリーンの手を引いたのだった。


















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