「…………せんせ…」
「…どうしましたか、銀時」
「………」

就寝のために明かりの落とされた暗い部屋の中、銀時は布団越しに松陽の背に呼びかけた。
一八歳を過ぎると、銀時は松陽と同じ布団で寝ることを禁じられた。
毎晩松陽の背に引っ付いて寝ることが習慣化していた銀時にとってはそれは過酷な試練だったが、他ならぬ松陽の言葉ならば無下に断ることもできない。
ただ、散々我が儘を言って同じ部屋で布団を並べて眠ることは譲歩してもらえたのである。
松陽は、小さな銀時の声にもちゃんと反応して、体を銀時のほうに向けてくれる。

「……あのさ、」

話したいことはたくさんあった。
今日の任務のこと。
高杉や桂とやったアホなこと。
今日の夕食のこと。
明日の任務のこと。
それでも……

「そっち行ってもいい?」
「駄目です」

にべもない言葉が銀時の胸に刺さる。
銀時がしょんぼりしているのを悟ったのか、松陽はゆっくりと上半身を起こした。

「銀時、意地悪で言っているわけではないのですよ。今のおまえの体はもう立派な女性です。夫婦でも、ましてや仕事でもない相手と共寝するほど、幼くない。私にはもう魅力的すぎて辛いのです」
「……先生になら、いいのに」
「こらっ」

暗がりでも寸分違わず額の真ん中にデコピンされて、銀時はおもわずギャッと色気のない声を出した。

「最後まで、あなたの親でいさせてください」
「………気が変わったらすぐに言って?」
「変わりません」

松陽は呆れたように言い、再び自分の布団へと体を横たえる。

「先生、明日の任務、気をつけてね。ちゃんと元気で帰ってきて」
「ありがとう、銀時。おやすみ」
「おやすみなさい」

銀時ももそもそと自分の布団へと潜り込む。
だけど、やはり、松陽との距離がもどかしい。
温もりが恋しい。
駄目元で松陽の布団のほうへ伸ばしてみた手は、そっと、温かく大きな手で握り返してもらえた。
それだけで、どうしようもないくらい、幸せだった。







ブラ☆スター







         9







「神威!おいてめー!聞いてんのかコラ!!」
「あははっ、おねーさん怖すぎー!」
「じゃあ離せコノヤロー!!」

銀時は周りに飛び交う怒号や悲鳴に負けじと神威の耳元で叫んだ。
会場は当然のことながら、いきなりの神威の乱入に文字通り騒然となっている。
不毛なやりとりを続けつつも、神威は銀時を軽々と抱えたまま舞台袖に潜り込んだ。
煌びやかなスポットライトが目映いステージから、急に暗い舞台袖に入ったことで、深い底なしの闇の中に飛び込んだ心地になる。
しかし、視覚がうまく機能しない中でも、銀時の嗅覚は敏感に血のにおいを察知していた。

「このままここにいたら俺まで殺されちゃいそうだよねー」
「………」

殺されるなどと露ほどにも思っていない声音で神威が言う。
銀時は白々しいと心中で悪態をつきながらも、視覚以外をフル稼働させて周りを観察した。
神威の口ぶりからして、そこかしこに転がるご遺体たちは彼がやったのでは無いのだろう。
つまり、『BLASTER』の粛清は着々と進んでいる、ということだ。
組織としては、最優先事項は人身売買を行う主催者やその関係者の殲滅であり、銀時の保護はその次である。
ここで銀時が別の誰かに買い取られようと攫われようと、第一にやることは変わらないだろう。
銀時はフロアから先ほど聞こえた高杉の声を思い出して、首を捻って背後を振り返った。
高杉達のことだから、本部隊とは別に、銀時救出用に特別に結成させてもらったチームなのかもしれない。
果たしてこの状況に、どう対応するのか。
どんどん遠くなるステージの光を眺めていた銀時だが…

「ひぁ!?」

次の瞬間、明確な意思を持って体に触れられて、銀時は小さく悲鳴を上げて体を震わせた。
慌てて視線を神威に戻せば、神威からの剣呑な視線が体に刺さる。
担がれたまま、為す術もなく体を弄られながら、銀時はたまらず体をばたつかせた。

「おねーさんは俺が買ったんだから、よそ見してちゃダーメ」
「ちょっ、やっ…!さわんな!っていうかっ!十億とかふざけてんのかてめぇ!?」
「そんな可愛い声で言われても全然怖くないよね。それに十億の小切手ちゃんと置いてきたし」
「…マジで払ったの?」
「うん」

銀時は唖然として神威を見た。
高杉達の場合、際限なく金が使えるわけではない。
何しろ『BLASTER』自体が内閣直属の非合法暗躍組織であり、表舞台に顔を晒してよいものではないのだ。
今回の件も、最善のプランはその場で現金を支払って銀時を買い取り、買い手はそのままドロンという手はずであったはずだ(おそらく先ほど高杉が出した二億も、高杉や坂本の個人的な金だろう)。
しかし現実はこうだ。
正攻法で上手くいかなかった時のプランは勿論考えてあるだろうが、相手が相手である。
銀時は注意深く神威を見た。
狭くて暗い舞台裏を危なげなく激走する神威の足取りに、迷いは一切無い。
逃走ルートも決まっているということだろう。

「なあ、逃げる前に服くんない?さすがにこのまま裸ってのは…」
「僕とおねーさんの間柄じゃ、今更でしょ?」
「どんな間柄だよ!」

相変わらず銀時の手足には枷がはめられている。
自分で逃げようにも逃げられないことに、焦燥はじりじりと積もっていく。
その間にも、神威は舞台裏を抜け、ドアが両側に所狭しを並ぶ狭い通路へと足を進めていく。
暗かった舞台裏と違い、電灯で淡く照らされた通路は視界も効く。
そこでやっと、銀時は自分がいるこの場所の違和感に気付き始めた。

(この構造。まさか…)

表情が険しくなっていく銀時を知ってか知らずか、神威はとある部屋へと足を踏み入れ、銀時を些か乱暴に床に降ろした。
視線で自らから離れる神威を追えば、部屋の隅にあった大きなクーラーボックス程の荷物を引き摺ってこちらに持ってくる。

「…おまえさ、どこ行くつもり?」
「んー?勿論地上に戻るに決まってんじゃん」
「……それ何?」
「何に見える?」

銀時は血の気が引いていくのを感じた。
神威が取り出した機材を背負い始めた時点で、銀時の嫌な予感は確信へと変わった。
つまり、ここは…

「飛行船…?」
「そっか、知らなかったんだねー。ホント、よく考えるというか、逆に馬鹿というか」

確かに、一度空の上に逃げてしまえば、警察などの手も届きにくい。
広い空は、邪魔者をできる限り寄せ付けたくない違法オークション会場として打って付けだろう。
しかし、逆に言えば、追い詰められた場合に逃げ場がないということ。
今がまさに後者の事態、といったところだろうか。

「…阿伏兎のやつ遅いな。しょーがない、ちょっと時間あるし、大サービスでお姉さんに布をあげよう」
「布?」

服では無く?
銀時の訝しげな視線を気にすること無く、神威はレースのカーテンらしきものを引っ張ってきて、ビリビリと裂き始めた。
それを銀時の背側から回して、前で縛る。
胸をぎゅうぎゅうに押しつぶされた銀時は思わず顔を顰めるが、神威はやはり気にする素振りも見せずに、同様に腰にも布を縛る。
「うん、ビキニ」と満足そうに頷いた神威を殴りたい衝動に駆られるが、手足が拘束されていることと、裸よりはましかという思いがそれをすんでの所でそれを押さえる。

「じゃあ、こわーい人たちに殺される前に、仲良くスカイダイビングといこうか」
「……どうやって?」

銀時はこの通りの状態であるし、神威が機材を着せてくれる気配も無い。
そして神威が身につけているものも、明らかにタンデム用ではない。

「下は海だし、何とかなるでしょ?」
「なんねーよ!俺泳げねーから!!」
「へぇ~、可愛いね」
「いや、普通に死ぬから!!」

顔を真っ青にして首を振る銀時を至極楽しそうに見ると、神威は容赦なく銀時の体を抱え上げた。
その時、

「団長ぉおぉお!!何一人で逃げようとしてんですか!?」

五月蠅く部屋に飛び込んできた影。
確認するまでもなく、阿伏兎である。

「だって遅いし。ほら、もう行くよ」

神威は銀時を抱いていない方の手で、いつの間にか側に寄せていたKPV重機関銃に手をかけた。
そのまま銃口をドアと反対側の壁に向け、何の躊躇いも無く引き金を引く。
銀時の真横で、ブローニングM2の倍の威力を持つ対物機関銃が火を噴く。
耳が壊れるのではないかと思うほどの発砲音の中で、銀時の耳はかすかに部屋に近づく足音を察知していた。
しかし、それは神威も同じだったらしい。
外からドアが開けられると同時に、壁を向いていた銃口は即座に部屋の反対側の入り口へと向けられた。
そのままドア周りが正確に打ち抜かれる。
銀時は一メートルを優に超える銃を片手で軽々と使いこなす神威に、内心戦慄した。
改めて、人間業ではない。

「おいてめぇ!そいつを置いていけ!!」

外から聞こえるのは、聞き間違えるはずが無い、高杉の声である。
どうやら神威と阿伏兎を追いかけてここまで来たらしい。
追いついた時間を考えるに、阿伏兎に足止めされていた、というところだろうか。
銀時は、久々に聞いた高杉の声に、急激に胸が熱くなった。
たった一日会っていなかっただけなのに、何故かその存在を懐かしく感じてしまう。
来てくれて嬉しい。
…嬉しいのに、高杉の元に行けないこの身が酷くもどかしい。
悔しい。
こんなに近いのに、神威という存在だけでドア一枚の距離が果てしなく遠く感じる。

「何で?ちゃんと金払ったじゃん。ここ即時お持ち帰り制でしょ?」
「小切手は不可だコノヤロ-!!」
「え?そうなの?まぁここまできたら細かいことは無しで」

なんとも緊張感の無い壁越しのやりとり。
神威は、もう一度ドアの向こうの高杉に向かって連射をお見舞いすると、KPV重機関銃を放り投げて、銀時を改めて抱え直した。
体がふわりと浮くのを感じると同時に、神威は銀時と重たい機材を背負っているとは到底思えない身軽さでトントンと両足で地面を蹴る。
そして次の瞬間、体を一回捻って、勢いのままに振り上げた足でドアと反対側の壁を蹴り飛ばした。
ガァンという大きな音と共に、銀時の視界に真っ暗な世界が広がる。
同時に、物凄い暴風が部屋に吹き荒れた。
先ほど銃で脆くした壁を力業で抜いたのだと銀時が理解するのと同時に、体は風の壁を抜けて夜の闇へと投げ出されていた。

「…っ!?」

思わず部屋の方…高杉の方へと伸ばした手は、虚しく空を切る。
一瞬、部屋の中に転がり込んで、こちらに向かって何かを叫ぶ高杉と目が合った。
何を言ったかは、鼓膜を揺らす轟音のせいで聞き取れない。

(正気じゃねーぞマジで…!!)

体が空へと投げ出された後は、時速二百キロメートルで落下するだけである。
銀時は伸ばしていた両手を必死で神威の首に回した。
振り落とされたらおしまいだ。
死ぬ気でしがみついているしかない。

「てめぇ、くっそ!!離したらぶっ殺すからな!!」
「えー!?何ー!?聞こえなーい!!」

轟々と鳴る風のせいで互いの声は届かないが、一応神威は銀時の腰をがっしりと掴んで離す様子は無い。
神威は、器用に片手でパイロットシュートを引き出し、何の障害も無くメインのパラシュートを開いた。
しかし、銀時も、おそらく神威も互いに体重は重い方ではないが、タンデム用ではないパラシュートは通常よりも速いスピードで降下していく。
恐る恐る下を見ても、墨のように真っ黒な世界が広がっているだけで、海面との距離が少しも掴めない。
恐怖しか感じられない中で、どれくらい落下していたのか分からない。
神威にギュッとより一層強く抱かれると同時に、着水は突然訪れた。
心の準備が出来ていなかったこともあり、銀時はしこたま海水を飲み込み、ゲボゴボと海中で噎せ返る。
気を失うかと思ったとき、水面へと勢いよく引き上げられた。
吐き出しきった空気を思い切り吸い込み、更に咳き込む。
肺が痛い。
顔が熱い。
ぜぇぜぇと息を整える間にも、銀時は体をばたつかせて神威の首元へと抱きついた。

「海なんだから、そんなにばたばたしなくても浮くと思うけど」
「むっ、り…!ぜってぇ…っ、離すなよっ!?」

ガタガタと震えてぴったりと身を寄せてくる銀時に笑みを浮かべながら、神威は背負った機材を外して海へと捨てていく。
真っ暗だとばかり思っていた海面は、よく見てみれば月明かりと星明かりをはじいて、ほんのり明るい。
その淡いばかりの光源の中で、濡れた銀時の髪、肌は余計に青白く、艶めかしく浮かんでいた。

「十億…ね」
「……?」

神威は身軽になった体で改めて銀時の腰を抱き直すと、まじまじとその恐怖に震える体を眺めた。
あれだけ気丈に振る舞っていたのに、水に浸かった途端にこの変わりよう。
神威はニヤリと笑むと、腰に回していないほうの手で銀時の太股の内側を下から上へとなで上げた。
ついでに、無防備に晒される首筋もねっとりと舐め上げてみる。

「~~っ!?」

ガバリと顔を上げた銀時の顔は、当然のことながら驚愕に見開かれていた。
追い打ちをかけるように神威の手は脇腹をさすり、申し訳程度に巻かれた布の中に進入してくる。

「ひっ、あっ…!ばっ、やめっ!」
「やめないよ~。せっかくおねーさんを独り占めできるのに」
「ふぁ…!?てっ、め…くっそ…後で、覚えてっ、ろ、よっ」
「え?嬉しいなぁ。後でも相手してくれるの?」
「…っ?」

体を好き勝手触られながらも、銀時が神威の受け答えに違和感を感じて横目で表情を盗み見れば、神威は銀時ではなく別の方向を見ていた。
つられて銀時も同じ方向を見れば、エンジン音と共に小型ボートが近づいてくる。

「あーあ。もうちょっとおねーさん堪能したかったな~」

神威はだんだんと大きくなっていくボートの方を唖然と見ていた銀時の両頬を片手で掴むと、自分の方にぐいと顔を向かせた。
散々神威に体を弄られたせいで、その頬は月明かりでも分かるほどに上気していて熱い。
それでも神威から少しも離れようとしないところから、銀時の水への恐怖がそれほどまでということが分かる。

「おねーさんの弱点も分かったし。次はもっと楽しく遊べそうだね」

相変わらずのつかみ所の無い笑みを浮かべて言う神威だったが、次の瞬間、銀時の視界いっぱいに神威が映った。
頬を掴まれていたこともあり、体を引く余裕も無くそのまま乱暴に唇を奪われる。

「んむぅ!?」
「…、ふふ、じゃあね」

すぐに顔を離した神威は、楽しげに目を細めて銀時の耳元で別れの言葉を囁いた。

「おっ、おまっ、なに、なにしっ!!」

銀時が目を白黒させている間に、神威は首にしがみついている銀時の腕を外して、あろう事か、思い切り銀時の体を後方へとぶん投げた。

「ぎゃあぁああぁああああっ!!」
「銀時ぃ!!」

絶叫する銀時の耳に馴染み深い声が届いたのは、銀時が本日二度目の着水をするのと同時だった。
水飛沫の合間に、同じくパラシュートを背負った高杉が降下してくるのが見える。
まとめられたままの手足をバタバタさせて沈もうとする銀時を、すぐ隣に着水した高杉が抱き上げたのはほんの数秒後のことだった。

「銀時!おい、平気か!?」
「ぶはっ!はっ、はぁ……た、高杉ぃ…」

背にパラシュートを付けたままで、高杉が情けない顔で縋ってくる銀時をしっかりと引き寄せて抱きしめる。
安心させるように銀時の背を撫でながら、視線だけは鋭く神威の方を捕らえていた。

「おい、坂本ぉ!!逃がすんじゃねぇぞ!!」

高杉が言うが速いか、大分近くまで迫ってきていた小型ボートから、神威がいた辺りの水面へと銃弾が放たれる。
しかし、月明かりが頼りの海では、潜られてしまったら到底狙いを定めることなど出来ない。
高杉の悔しそうな舌打ちは銀時にだけ届いた。

「団長ぉおぉおぉおおっ!!ちょっ、逃げますよ!いい加減にしてくださいよ!後でちゃんとボート膨らませてくださいよ!?」
「ぷはっ。…、あははっ、おまえホント使えないね」

そして次に神威が水面に顔を出したのは、ボートの後ろ側に着水したらしい阿伏兎のすぐ側だった。
つまり坂本は見当違いの箇所を狙っていたことになる。
潜水での移動の速さに度肝を抜かれる銀時たちには一瞥もくれず、神威と阿伏兎はすぐにまた海中へと姿を消してしまった。



小型ボートから十分に離れたところまできて、神威と阿伏兎の二人はようやく一息ついて海面へと顔を出した。
阿伏兎が背負ったままのバッグから、ずるずると巨大なビニールの塊を取り出す。
阿伏兎はちらりと神威の表情を窺ったが、にこにこするだけで全く動く気配はない。
諦めたように溜息をつくと、阿伏兎は大人しくゴムボートに空気を入れ始めた。

「それにしても、団長にしてはえらく潔く手放しましたね」
「ま、あそこでやり合っても分が悪かったしね。あのおねーさん金槌だったし。さすがに金槌引き摺って逃げ切れるほど相手も甘くないでしょ。それにおまえが遅かったし」
「すみませんって…あれでも頑張って足止めしたんですよ?」
「後は…あのおねーさん発信器ついてるね、多分」
「発信器?気絶させたときに隅々まで調べたじゃないですか。とんでもねーもん体中から出てきましたけど」
「…多分体内。どこにあるかは分からないけど。そうでもないと今回のことが説明できない」
「っはー…チップ付きね……根っからの商品って訳ですか。それとも誰かに管理されてんのか」
「ま、後者だろうね。明らかに普通じゃないし、あのおねーさん」

お仲間サンも、と呟いて、神威は膨らみ始めたゴムボートへと上半身を乗せた。
簡単に手に入らないものほど、執着心が湧く。
阿伏兎はギラギラした神威の目を横目で見て、再び溜息をついた。
素直に諦める気は、さらさら無いらしい。



「銀時、銀時、平気か?」
「ん…大丈夫」

坂本のボートに引き上げられながら、銀時は大きく息をついた。
足が地面に着いたことで、やっと生きた心地がする。

「悪かったな、遅くなって…」
「んーん。寧ろ速すぎるくらいだろ。……ありがと」
「怖かっただろ…」

海中でもずっと銀時を抱いていてくれた高杉が、今度は後ろから包み込むように抱きしめてくる。
全身で高杉を感じながら、銀時は安堵から目頭が急激に熱くなるのを感じた。
へたりと座り込んだ太股にぽたぽたと落ちる水滴は、滴った海水だけだと思いたい。
…思いたいが、漏れてしまう嗚咽がそれだけでないことを雄弁に物語ってしまっていた。

「…っわ、かった……こ、こわかった…」
「あぁ、もう大丈夫だ。よく頑張ったな」
「た、高杉ぃ…っ」

銀時は振り返って正面から高杉へと抱きついた。
高杉はそれを危なげも無く受け止めて、よしよしと頭を撫でてくれる。
えぐえぐとしゃくり上げながら高杉に甘えていた銀時だったが、上からふわりとバスタオルが掛けられて、涙に濡れた視界のまま上を見上げた。
そこにはほっとした顔で微笑む坂本の顔がある。

「辰馬もっ…あり、がとっ…」

きっと、高杉達に指示を出しながら、飛行船の真下をキープし、待機してくれていたのだろう。

「おい、俺も忘れてくれるなよ…」
「ヅラ…」
「ヅラじゃない桂だ」

ゼーハーと荒い息のままに、同じくびしょ濡れでボートに乗り込んで来た桂を迎え入れて、銀時はやっとへにゃりと笑った。
本当に、一日会っていなかっただけなのに、こうして無事に四人揃って笑い合えることが最高に幸せだと感じてしまう。
ここから誰かが欠けてしまったら、それが自分でも、二度と立ち直れないのではないかとまで思う。
それは、諜報員としてはこの上ない欠陥なのかもしれない。

「心配すんな、銀時。俺たちがいるから、大丈夫だ」
「……うん」

(依存なのかもしれない)

はらはらと流れる涙を拭いもせずに、三人の顔をゆっくりと見渡す。
誰が、いつ、どこで死んだっておかしくない世界に生きている。

(それでも、)

この世界で生きていくと決めた以上、腹をくくって走って行くしかない。

(こいつらが、好きだから。そばにいたいから)

巻き添えにしてやる、くらいの気持ちでやってやろう、と。
銀時は泣き顔を晒したまま、もう一度笑った。


***


「んん……ふぁ、…ぁ」

銀時は大きく伸びをしてベッドから上半身を起こした。
枕元の置き時計を見ると、午前九時少し過ぎ。
隣を見ると、銀時が動いたせいで目を覚ましてしまったのか、高杉がぼんやりとした表情のままこちらを見ていた。

「もう起きんのか?」
「ん…報告行かねぇと」

そう言えば、高杉は渋々と頷いて同じように体を起こす。

「ねみぃ…」
「そんなに眠いならあんな励まなくてもよかったのに…」
「バカヤロォ。他人に触らせたままにしとけるかよ」
「ホントにちょっと触られただけだどね…」

結果として神威は銀時に無体は働いていない。
むしろ攻撃を受けたことの方が印象に残っているくらいだ。
それは散々説明したのだが、高杉は触られたことで既にご立腹だった。
銀時はといえば、気絶して眠り、捕らわれ中もふかふかのベッドで眠りと全く睡眠に不足は無い。
きっと高杉たちは徹夜で銀時救出のために動いてくれていたのだろう。
少し申し訳ない気持ちで高杉を見ていれば、ぱちぱちとゆっくりと瞬きをした高杉が不意に近づき、頬に口づけを落としていく。
思わず銀時は目を丸くして、ばつが悪そうに目をそらせて離れていく高杉をまじまじと見てしまった。

「男の時に、珍しいじゃん…」
「っせェな…」

高杉は頭をがしがしと乱暴にかくと、ベッドから降りてシャツを羽織り出す。
銀時も慌ててそれに続き、手短にシャワーと歯磨きを済ませると、五年以上ご無沙汰だった『BLASTER』本部の自室をあとにした。


談話室へ足を運ぶと、既に身支度を済ませた桂と坂本が丸テーブルを挟んでパイプ椅子に腰を下ろしていた。

「おぉ、金時!よお眠れたか?」
「あぁ、はよ、辰馬、ヅラ。あと金じゃ無くて銀だから」
「おまえこそヅラじゃない桂だ」

丸テーブルの上には、桂が握ったのであろうおにぎりが二つ、おまえらの分だというように空の椅子の前に置かれている。
銀時は、「相変わらずでけーな」と呟きつつ、ラップで包まれた巨大塩にぎりを有り難く頬張る。
坂本に紙コップの茶を手渡されつつ、銀時は窺うように桂を見た。

「十時から課長に詳細を報告だ。大まかな報告はしてあるから、主に銀時の、だな」
「…おう」
「それと俺たちのマンションの荷物も撤収済みだ。ロビーに固めてあるから後で片付けだぞ」
「……相変わらず仕事がはえーな…」

飛行船には『BLASTER』の撤収と入れ違いで警察が乗り込む予定であったそうだから、おそらく違法オークションに参加していた客達は今頃警察にお世話になっていることだろう。
金に物を言わせてすぐに日常に戻る輩もきっと多いのだろうが。
主催者側については、飛行船から文字通り飛び出した運び屋である神威たち以外は、銀時が舞台裏で感じたとおり無事に制裁されたようである。
主催者側が全員死亡し、客がパニックを起こしている飛行船を警察がいったいどう片付けたのか少々気になることではあるが、そこは銀時たちの知る所ではない。
警察がその件でバタバタしている間に、銀時たちの荷物はひっそりと運び出されたのだろう。
おそらく部屋は誰も住んでいなかったかのように、真っさらになっているに違いない。
土方辺りが知ったら地団駄と踏みそうだと、銀時は何気なく思う。

「表向きの警察ごっこも、もう終わりかぁ…」

銀時は勿論、いきなり行方知らずになった残りの三人も、もう警察に戻ることはない。
これだけ大きな捕り物があったのだから、長年にわたる潜入も無駄では無かったということになる。
せっかくSATにまで入った高杉も、何だかんだで可愛い後輩たちをもった銀時も、少々後ろ髪を引かれる気持ちはあるが、切りの良い幕引きになったと言えるだろう。
銀時は食べ終わったおにぎりのラップをくしゃくしゃに丸めると、後ろに軽く放った。
それは緩い弧を描いて、綺麗に備え付けのゴミ箱の中へと吸い込まれる。

「次はどんな任務に回されるのやら…」
「それは俺たちの知る所ではないな」
「そうじゃのー」
「んじゃァ、行くかねェ」

思い思いに立ち上がって、四人は課長室へと足を向ける。

日本に闇を広げる天人の動向を日々探り、裏で粛清を行う、内閣直属の非合法暗躍組織―――――『BLASTER』。
彼らはどこに潜んでいるのか、どこに溶け込んで生活しているのか、表に生きている者には知りようがない。
次に銀時たちが誰になりすまして、どこに現れるのか、それはまだ銀時たち自身もまだ知らぬ事である。





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