「魔死呂威組」と木の札がかかった年季の入った広い日本家屋を、たくさんの提灯が薄ぼんやりと照らしていた。
その幻想的にも思える光景の中をガヤガヤと行き来する、袴やスーツを着た男達。
よくよく見れば、その顔には深い傷跡が刻まれていたり、指の本数が足りなかったりと、どう見ても堅気では無い者たちで溢れかえっていた。
しかし、組の集会にしては、人々の足はどこか浮き足立っている。
その理由は、屋敷の中に入ってみれば一目瞭然だった。
木戸や障子が全て取り払われ、外からも様子がよく見えるようになった大広間の上座に慎ましく座る、白無垢を着た女性。
その隣に座す、金の家紋の入った袴を着、黒髪を後ろに撫で付けた男性。
ざわついている門付近とは違い、その空間だけは厳かな雰囲気に包まれている。
白無垢の女性の打掛の袖から覗いた雪のように白く、ほっそりとした手に、ざわりと周囲がどよめいた。
その所作一つ一つで周囲の目を奪いながら、女性が男性から受け取った杯をゆっくりと傾ける。
どこもかしこも真っ白で、瞬きを一つしたらその瞬間に周囲に溶けて消えてしまいそうな儚げな雰囲気の中で、真っ赤に彩られた口紅だけがその女性の存在感を主張していた。
「あー!だりいぃぃ!!」
銀時は皺一つ無い真っ白な打掛と綿帽子を乱雑に脱ぎ捨てた。
一分の隙も無く着付けられていた掛下の合わせも帯も、何の躊躇いも無く弛めて床へとどっかりと座り込む。
花嫁控え室と札が掲げられた部屋は、花を含めたくさんの贈り物で溢れかえっていた。
その中から目敏くお菓子の詰め合わせを見付けて、綺麗な包装を行儀悪く破いて中身を取り出す。
綺麗な細工や飾りが施された高そうな焼き菓子をポリポリと食べていると、部屋の入り口であるふすまがガラリと無遠慮に開けられた。
「よう銀。お披露目ご苦労じゃったのう………って、もう食べとるんかい」
「お、京次郎。おまえも食う?」
「………おまんは…」
京次郎と呼ばれた男は、大きくため息をつくと銀時の側に歩み寄り、静かに腰を下ろした。
銀時がちらりと隣を盗み見れば、額から頬にかけて入った傷に挟まれた目が呆れたようにこちらを見ていた。
しかし、その視線は存外に優しい。
魔死呂威組次期当主、中村京次郎。
今日銀時は、そのヤクザの次期当主と式を挙げたのである。
「ほれ、ついとるぞ。がさつな女じゃのう」
京次郎は口の端についた食べかすを、少しかさついた親指で優しく拭ってくれる。
銀時はその上をぺろりと舐めて、妖艶に微笑んで見せた。
「そのがさつな女を嫁にした気分はどうよ?」
「……悪くない」
「ははっ、悪趣味!」
銀時が笑えば、京次郎も少しだけ困ったように笑い返す。
そして銀時の顎を掬うと、触れるだけの口付けを落としてきた。
「こんな訳ありの物件を迎え入れるなんて、どうかしてんよ」
「惚れてもうたんだからしょうがないのう」
「……そ」
面と向かって言われると少しこそばゆくて、銀時は慌てて顔をそらせた。
しかしそれをよしとしない京次郎によって、両手で頬を挟み込まれて再び顔を正面に向かされる。
色男と言っても過言ではないその顔を間近に捉えて、銀時は諦めて両目を閉じた。
次に降ってくるであろうたくさんの愛を覚悟して。
「もう、わしの女じゃ」
「……ん、優しくしてね?」
***
『で、どうなんだ、おまえの旦那様は』
「ん?基本仏頂面で眉間に皺寄ってるけど、色男で優しくていい人よ?ちょっとだけ高杉に似てるかも」
『……おい、本気になるんじゃねェぞ…?』
「何が?」
銀時は通話相手の言葉に顔を顰めつつも、手だけはてきぱきと動かして胴着を身につけていた。
耳に付けられた小型のカスタムIEMから聞こえてくる、どこか苛ついたような高杉の声に、てきとうに相づちを打ちながら帯をきつく絞める。
形的に魔死呂威組に嫁入りしたことになった銀時だが、勿論任務を進める上で有利だと判断したからそうしたまで。
相手方には申し訳ないが、任務が終わればまた以前のように姿を消すだけである。
「ごめん、今から組の連中に稽古つけることになってるから。んじゃね」
銀時は一方的に会話を切ると、耳からカスタムIEMを取り出してお守り袋へとしまい込んだ。
代わりに手に持った竹刀袋から一本の竹刀を取り出して、軽く振ってみる。
ヒュン、と空気を切る音が静かな部屋に響く。
この広い屋敷の中は、どこもかしこも手入れが行き届いている。
銀時が今から向かう、屋敷に併設された道場も然り。
拳銃や薬物の扱いばかりが主流になっているヤクザが多い中、伝統や礼節を重んじる存外まともな組らしい。
まぁ、本当に裏が無いのか見極めるのが今回の銀時の任務になるわけであるが。
「銀、用意はええか?」
「…京次郎」
銀時は竹刀を振っていた腕を降ろすと、部屋に入ってきた旦那を振り返って「にっ」と笑ってみせる。
「よかったらおまえも一緒にやる?」
「…遠慮する。下のもんらの前に無様な姿さらすのは本意じゃないからのぅ」
「あっそ」
銀時としては一番歯ごたえがありそうなのはこの京次郎だと感じていたので、少しだけがっかりする。
出会いの時点で銀時の実力は京次郎には知られてしまっているので、今更か弱いアピールをしても無駄であるし、むしろ京次郎は銀時のこの腕前にも惚れ込んでいるところがある。
「また二人きりの時に…な」
「はいはい」
「ぐちゃぐちゃにして思いっきり泣かせてやるけぇ、覚悟しちょけよ」
「………手合わせの話だよね?っていうか、その台詞なんかすげぇデジャヴ」
銀時はぼりぼりと頭をかくと、竹刀をしまった袋を担いで京次郎が開けた襖を通って部屋から出た。
廊下に出れば、四季折々の花木が賑わう庭を挟んだ向こう側に道場と屋敷が見える。
そう、銀時がいるここは所謂離れだった。
離れと言っても、以前銀時が住んでいたマンションの一室ほどの広さがあり、一人で住むには少々広すぎる程である。
別に隔離されている訳では無い。
寧ろこれが銀時自身が出した京次郎に嫁ぐ条件の一つだった。
「じゃが、大丈夫か?やたら人前に出て、おまんと嫁の銀が同一人物じゃと気付かれでもしたら…」
「普通思わないって。おまえもそうだったろ?」
銀時は後ろから数歩離れてついてくる京次郎にひらひらと手を振った。
今離れから出て屋敷に向かおうとしているのは、日中なので当然であるが男の姿の銀時だった。
一応、ヤクザに嫁いだ妹の心配をして組に入った心配性の兄、という肩書きをもらっている。
男である銀時の離れも別に与えられているため、屋敷内をうろうろしようが不審に思われることは無い。
日中は、嫁の銀時の方はアルビノであまりに太陽の光に敏感なので、日が暮れてからしか離れから出てこない、という設定になっている。
実際にどちらの銀時もあまり日光を浴び続けるのは良くないのだが、屋敷の中を歩き回る分には勿論何の支障も無い。
ちなみに、この組の中で銀時の性別の昼夜逆転を知っているのは、この京次郎と…
「銀時様。手ぬぐいをお忘れですよ」
「お、サンキューヅラ」
「ヅラではありません、ヅラ子です」
銀時のお付きとして一緒に屋敷に入った、桂である。
銀時は有り難く手ぬぐいを受け取ると、二人と別れて軽く口笛を吹きながら道場へと入った。
ここからは銀時の憂さ晴らし兼指南という名の実力検分である。
「さ~て、誰からかかってくるのかな?」
強面の連中がずらりと並んだ道場を見て、銀時は心底楽しそうに笑んだ。
***
この屋敷は日が沈むと、玄関、庭、屋敷内と順々に明かりが灯り、活気づき始める。
今日も今日とて、警察の車のいなくなった大きな門の前に車が次々と止まり、別の組の連中が屋敷の敷居をまたぎに来る。
ヤクザという家柄故、喧嘩だろうが交渉だろうが懇親会だろうが、大っぴらに動くのは夜である。
しばらくすれば大広間では大々的な酒宴が始まり、どんちゃん騒ぎになることであろう。
桂は賑やかな雰囲気を遠くから楽しみながら、闇に紛れた木の幹に背を預けた。
『首尾はどうだ?』
「悪くないぞ。銀時は表から、俺は裏からたっぷりと調べさせてもらっている」
桂は周りの気配に注意を払いながら、小さく答えた。
「ただ、銀時の旦那様はたいそう一途な奴でな。旦那様以外からは夜の情報は得られんかもしれん」
毎晩毎晩、飽きること無くしっぽりだと桂が告げれば、通話の向こうの高杉の機嫌が急降下するのが分かる。
愛妻家の京次郎は、休むことなく毎夜銀時の元を訪れている。
これでは銀時は他の男のところに行くことはできないし、そもそも京次郎にバレたらその相手は次の日庭の池に浮かぶことになるだろう。
『気にくわねェ…』
「何を言ってるんだ、今更だろう」
桂が呆れたように言えば、ふて腐れたように高杉が舌打ちをこぼす。
桂は高杉が今どんな表情をしているのかありありと想像できて、少しだけ愉快な気分になる。
銀時が他の男と寝たことなど、それこそ星の数である。
それでも高杉が煮え切らない思いをしているのは、銀時が京次郎の嫁にまでなってしまったからだろう。
魔死呂威組調査という任務を新たに授かった、銀時、高杉、桂、坂本の四人は、当初は外堀から埋めていく予定だったのである。
今回は、警察に四人揃って就職した時とはまたアプローチも何もかもが違う。
そこまで大がかりな長期任務でもないので、下っ端から銀時がガンガン攻め入って、最終的には当主と関係を持って内情を探ろうと考えていたのである。
しかし、組の下っ端を捕まえようと張っていたところにたまたま飛び込んできたのが、魔死呂威組次期当主だった。
詳しく言えば、銀時が男を誘っているところを見つけた京次郎が、銀時が暴漢に襲われそうになっていると勘違いし飛び込み、逆に銀時に伸されたという何とも格好の付かない出会いであるのだが。
しかし銀時はこれ幸いにと京次郎と関係をもち、向こうに気を持たせて結婚にまでこぎ着けてしまった。
ちなみに高杉は最後まで止めたのである。
しかし銀時はこれ以上に都合の良い立場は無い、と頑として聞き入れなかった。
『サツのほうはどうだ。銀時のこと、知られちゃいめェな?』
「今のところは問題ない。警視庁の管轄からは大分離れているし、顔見知りがたまたまいたなんてことは無いだろう。家柄故に、パトカーは毎日門前に常駐しているがな。迂闊に表門からは出ないほうがいいだろうな」
『まぁ、あの馬鹿もそこまで考え無しじゃねェだろ』
「とりあえず、今夜はパソコンのほうを覗いてみようと思ってる。本当は銀時に頼みたいんだがなぁ…今日も奴は」
『言わなくていいからな』
「俺は入り口を開くところまでしかやらないからな。一応一番人が寄りつきにくい時間帯を狙うが、誰がいつ通るか分からん場所にある」
『十分だ。入り口さえ開いてくれりゃァあとは坂本が何とかする』
「それじゃあ、あとは手はず通りに…」
『…おう』
まだ何か言いたげな高杉を遮って、桂は通話を終了した。
坂本がハッキングの準備をしている以上、今日の銀時の濡れ場盗聴係は高杉だろう。
今回の任務は銀時と桂が現場、高杉と坂本が場外からサポートという形になっている。
銀時の喘ぎ声を散々聞かされる高杉に少しだけ同情しつつも、桂は今晩のハッキングの用意をすべく、音も無く庭の闇へと姿を消した。
「……っん、」
銀時は、頬を撫でるように触れる温もりに、ゆるゆると重い瞼を持ち上げた。
目の前には、当然といえば当然だが、旦那となった京次郎の顔がある。
ぼんやりとその端正な顔を眺めていれば、京次郎は普段の様子からは想像も付かないような優しげな顔で僅かに笑んだ。
「悪い、起こしてしまったかのぉ」
普段眉間に刻まれている濃い皺も、寝床の中でだけ緩むのを銀時は知っている。
「いいよ、別に。ていうか、おまえ元気過ぎ…俺が気ぃ失うとか…」
なんか悔しい、と素直に言えば、京次郎は破顔して更に銀時を抱き寄せてくる。
相当入れ込まれているな、と感じつつも、銀時は顔には出さずに京次郎の顔に触れ返した。
顔に刻まれる傷を下からなぞるように指を這わせ、瞼に行き着く。
「よく左目無事だったな……何、これ。刀傷?」
「……知りたいか?」
「まぁ、奥さんだしね。ちょっとは京次郎のこと、知りたいって思ってるよ」
そう言えば、京次郎はきょとんとした後に、ははっと空気を震わせて笑った。
そして再び優しげな顔に戻ると、銀時の手を顔からそっと外してお互いの指を絡めた。
「そうじゃのう…そう言われたからには答えんと…」
「…嫌なら別にいいけど」
「いや、そんな大層な話じゃない。別の組と小競り合いになった時に喰ろうてしまっただけじゃ」
まぁ、向こうの指も飛んだんじゃがな、と続いた言葉に、どれだけ血生臭い抗争であったかが窺い知れる。
「ねぇ、普段ってヤクザの家って何やってるの?俺未だに全然分かってなくて…」
「……喧嘩ばっかりしとるわけじゃないぞ。うちの組は専ら水商売に風俗店かのう……まぁ、ちょっくら後ろ暗い方法で稼がしてもらっとる」
「……それってけっこう真っ当なんじゃねぇの?」
「そうじゃのう…銀はヤクザっちゅうと、闇金融とか銃や麻薬の密輸を思い浮かべるんかもしれんが、うちはそういう危険なものには手は出しとらん。サツの取り締まりも厳しくなったしな。でも最近、他の組の良うない噂をよう聞くようになったなぁ…治安が悪ぅなってきとる感じはする…」
この組では、みかじめ料を払わせたり、店に出す花やおしぼりなどを相場の何倍もの金額で納入させていたりするという。
銀時はへぇ、と興味深そうに相づちを打ちつつ、京次郎の表情をじっくりと観察した。
嘘を言っているわけではなさそうだが、もしかしたら京次郎が知らないだけかもしれない。
データの裏付けは坂本が行ってくれるはずなので、とりあえず銀時はその他の情報収集に努めるのみである。
「……そうえいば明日…っちゅうてももう今日か……晩に、銀にも参加してもらわにゃならん予定が入っとる。わしはあまり気が乗らんのじゃが、おじきがどうしてもっちゅうてな…さっき話にも出た、あまり良い噂を聞かん組との会合じゃ。銀もわしの妻として紹介するらしい。悪いのう…」
「いいよ、式の時みたいに、慎ましく座ってればいいんだろ?心配しなくても大丈夫」
むしろ好都合である。
銀時は盗み聞きしているであろう高杉に早く相手を確認しろと念を送る。
勿論伝わるわけもないのだが。
「あ、もしかして昼…?」
「いや、日が沈んでからじゃ。というか、昼じゃおまんが出れんじゃろ……そうじゃのうて…あんまりおまんを人に見せたくないっちゅうか…」
歯切れ悪く言う京次郎に、銀時は一瞬きょとんとしたものの、すぐに意地の悪い笑みを浮かべた。
「あ、何?そっちの心配?それこそ大丈夫、誰に言い寄られてもなびかないぜ?」
「……だからそうじゃのうて……、んん、とりあえず、会合ではわしから出来るだけ離れないようにしてくれ。なるべく早く退出できるよう計らいはする」
「ありがと」
銀時はにこりと笑むと、再び京次郎の胸に体を預けた。
京次郎以外の男と会うのすら難しいこの現状で、新しい情報源になりそうなこの会合は有り難い。
相手の組の名前だけを京次郎からついでとばかりに聞き出すと、後は高杉に任せることにして、銀時はゆるゆると再び深い眠りに落ちていった。
***
「ここかィ、魔死呂威組ってのは」
パトカーの後部座席から運転席のほうへ体を乗り出してくる男を少しだけ焦ったように押し戻しながら、運転席の警官は大きく頷いた。
門構えを見ただけでも、そこそこ大きな組であることが分かる。
「最近、組の次期当主が妻を娶ったってことで、抗争が無いか厳重に張ってるんです」
「嫁さんもらっただけで?襲名したってわけでもねぇのにかい」
「その嫁さんが大層な美人らしいですよ」
「見たのかィ?」
「いいえ。ただ結納式の日は屋敷から出てくる皆が皆浮き足立ってたらしいですからね。その日張り込み当番の奴が、パトカーの中で外の話し声を聞いたらしいです。とにかく、この世の者とは思えないほど、どこもかしこも真っ白で綺麗な嫁だったって」
「真っ白……ねぇ…」
「っていうか、完全に管轄外ですよね…?ちゃんと許可もらってきてるんですか、沖田さん」
「細けぇこと気にすんなよ」
「いや、細かくないですからね」
運転席と助手席、両方の警官から窘められた沖田は全く悪びれる素振りも見せず、後部座席にどっかりと腰を下ろした。
あの日、警視庁の刑事部、警備部、交通部に出された『坂田銀時を保護しろ』という命令。
初めて出された緊急命令に、沖田を含め、多くの警官がわけが分からないまま担当事件をほったらかしにしてその捜査にあたった。
しかし、発信器を全員に渡された瞬間、沖田の上に対する不信感は最高潮に達してしまった。
パフェを満面の笑みで食べる幸せそうな銀時が思い出されて、何故その銀時を捕縛するような真似をしなければいけないのかと。
結局沖田も別の意図をもって銀時を探したが、見つけることはできなかった。
よりによって、無体を働いて銀時に発信器を付けたのは土方だと聞き、よく分からないがあられも無い姿で帰還した土方を思いきり殴った。
その後、何故か命令は取り下げられ、今回のことは一切他言無用だと言われた。
誰かに話したり、話題にするだけでも懲罰を与える、と。
それからは、皆腫れ物に触れるようにあの夜のことは話さない。
誰も懲罰など喰らいたくないから当然だが。
しかし、沖田は当然納得などしていなかった。
その後、捕まったのか逃げ切ったのか行方をくらましてしまった銀時。
同じく別の課から、高杉を含めた三人が次の日に退職届を出して行方をくらませたらしいが、その三人の行方も分からない。
その銀時絡みの事件で上から圧力をかけられてやめたのか、自発的にやめたのか、それすらもどれだけ調べても分からなかった。
緊急命令を出した警視庁長官も、次の日急に大量の汚職が露見され、辞職してしまっている。
それから沖田は、少しでも銀時かもしれないという情報が耳に入れば、それがどこであろうとすぐに確認しに行くという日々を送っていた。
「どうやって確認するかねぇ…」
「はっ!?絶対に入っちゃ駄目ですからね!?連帯責任にされます…!!」
「心配すんな。俺は今日は有給取って来てるから、一般人だ」
「そんな無茶苦茶な!!」
今回も、担当事件をほったらかして県を跨いで銀時を探しに来てしまった沖田なので、帰ったら上司に大目玉を食らうことは想像に難くない。
しかし、例え結果無駄足となっても、行かないと後悔することは自身がよく分かっている。
「じゃ、送迎さんきゅー。俺のこと他言したら殺すからな」
「え!?ちょっ、ええええええ!!??」
沖田はひらりと後部座席から降りると、軽い足取りで屋敷の裏門のほうへと駆ける。
時刻は午後六時半を過ぎ、屋敷を高く囲むただの塀も、闇を取り込んで厳つい要塞のごとく沖田を威嚇してくる。
沖田は塀の上から木々が飛び出している箇所、つまり、庭であると予想できるところまでくると、助走を付けて塀まで走った。
そのままの勢いで壁を二,三歩登って、上の瓦部分へと手を伸ばす。
片手だけでも掴むことができれば、それはもう登れたも同然である。
片手で塀にぶら下がったまま体を揺らして勢いを付けると、下半身を捻って片足を瓦へとかけ、そのまま全身を堀の上へと引っ張り上げた。
時間にして十秒弱。
SITをお役御免になったら泥棒稼業でもいけるかもしれないなどと、他人が聞いたら笑えない冗談を半ば本気で考えながら、沖田は枝が比較的太い木へと飛び移った。
生い茂る枝葉に全身を隠してもらいながら、木の上から屋敷の全貌を確認する。
向こう側に大きな屋敷、こちら側に広がる庭と、離れがいくつか。
離れの一つは、ここから目と鼻の先にある。
明かりが灯された離れには、人が住んでいるらしく、がらりと襖が開けられて誰かが出てくる。
目をこらしてその人物を確認しようとして、沖田は思わず目を疑った。
白地に淡い青色の桔梗が入った浴衣に身を包んだ、それよりも更に白い肌と髪の女性。
「…ぁ、………え、」
湯浴みをした後らしく、手ぬぐいで髪を拭いながら、火照った体を冷ますように胸元の合わせをぱたぱたさせて空気を送っている。
その艶めかしい仕草に目を奪われていたら、不意にその女性と視線がかち合った。
相手からは沖田の姿は見えないはずだった。
それでも、確実に目が合ったと、感じてしまった。
「…っ!?」
自分が思っていたよりも、動揺していたらしい。
元々狭い場所で何とかバランスを取っていた体がぐらりと傾き、そのまま足を滑らせた。
体が宙に投げ出される感覚と、次いで背中に鈍い衝撃。
無意識に受け身を取ったようだが、なかなかに大きな音を立ててしまった。
しまったと思ったときには、既に遅し。
沖田が目を開けた時には、至近距離に白い浴衣の女性が迫っていた。
体勢を立て直す前に、仰向けの体に馬乗りされ、両腕を捻り上げられ、首元にひやりとしたものが押し当てられる。
「久しぶり、沖田くん。こんなところでお散歩?」
びっくりしちゃった、とあくまで穏やかな声で宣うその女性は、間違うはずも無い、ずっと沖田が探し求めていたその人だった。
「……旦那…じゃねぇや……銀時、さん」
「何?警察ってまだ俺のこと探してるの…?」
低く紡がれたその言葉に、沖田は銀時が自分を敵だと見做しているのだと理解する。
沖田はふるふると緩く首を横に振った。
「違うんです……俺が、勝手に探してただけ…」
そう、本当に見つかるだなんて、実のところ思っていなかった。
そこで、探してどうするつもりだったんだという至極真っ当な疑問が頭に浮かぶ。
そんなこと、考えてなかった。
しかし、いざ銀時と会ってしまえば、すぐに答えは出た。
「会いたかった…無事な姿が、見たかった……元気そうで、よかった」
一切抵抗する素振りのない沖田に、銀時は首を傾げると腕と首を解放した。
首に押し当てられていたのは、信じられないことに閉じられた扇子だった。
未だに下半身に馬乗りされたまま、沖田はずるずると上半身だけを起こした。
そしてそのまま銀時に向かって深々と頭を下げる。
「…警察が、本当に、すみませんでした。あんな、あんな人権も何かも無視したような対応をあんたに…」
「何?謝りにわざわざ来てくれたの?」
銀時は沖田の真意を図りかねるように再び首を傾げる。
「土方のクソヤローは殴っときました。殴って済むようなことじゃねェですが…」
「…そーだな、あれは慰謝料もんだな」
「銀時さん、あんたは今…」
「ん?分かってて来たんじゃねぇの?なんとか警察からは逃げきれたし、今は極道の妻やってるよ。警察も迂闊に手出しできないと思ってちょっと安心してたんだけど、そうでもねぇみてぇだな」
「……警察は、あんたのことは知りません。俺も、白い美人がいるって噂を聞いてそれで個人的に来ただけで…」
「そんだけで!?警視庁から!?」
銀時は心底驚いたように目を瞬かせた。
当然の反応だろう。
沖田もこれだけ目の前で驚かれれば、さすがに自分の行動が如何に突飛なものか思い知らされる。
「心配してくれたのは嬉しいけど、そっとしといてくんねぇかな。沖田くんしか俺のこと知らないなら、尚更」
「……勿論、そのつもりです。誰にも言いません。俺は、あんたの無事が確かめたかっただけだから…」
「俺はそれをどうやって信じればいい?」
じっと見つめられ、そう言われて、沖田は言葉につまる。
少し考えたが、思い浮かばない。
銀時は沖田を追い詰めるように、ずいずいと距離を詰めてくる。
少し湿った、月明かりをはじいて銀色に光る柔らかい髪が、透き通るように真っ白な肌が、サファイアを埋め込んでキラキラ輝く目が、桃色に色づいた唇が、沖田の心臓の具合などお構いなしに近づく。
土と草の匂いに、シャンプーの甘ったるい匂いが加わる。
どこもかしこも柔らかい肢体が更に上まで乗り上げてくる。
「…答えて?」
喉がからからに乾いて、頭が真っ白になる。
「…ぁ、お、俺は…一目あんたを見た瞬間から、あんたのことが気になって仕方なくなった。仕事してても、仲間と馬鹿やってても、家に一人でいても、いつだってあんたに会いたくて仕方なかった。あんたが不機嫌そうなら何かあったのかと心配になったし、嬉しそうなら俺まで幸せな気持ちになった。きっと、ずっと、ずっと、俺は、あんたに恋してた」
「………?」
「だから、この気持ちを信じてもらえねぇのなら、どうぞ、殺してくだせぇ」
「……ぇ、」
銀時はぽかんとして沖田を見てきた。
まさかそう来るとは思っていなかったらしい。
しかし、沖田はこの気持ち以外に、何も持ち合わせていない。
信じてもらえてないのなら、口封じにこの場で殺されたっていい。
じわりと視界が滲んで、銀時の顔がぐにゃりと歪む。
悲しいわけではない、ただ、最後に積もって積もってどうにもならなかった想いをちゃんと伝えることができたから、ほっとしただけだ。
「ごめん、沖田くん……虐めたかったわけじゃないんだけど…」
あからさまに狼狽した銀時の声が間近に聞こえて、次の瞬間、体を緩く引かれて、温かくて柔らかいものに包まれる。
よしよし、と頭を撫でられて、銀時に抱きしめられていることをやっと理解した。
「泣かないで、殺すわけないじゃん」
シャンプーの匂いでは無い、銀時自身の甘い匂いがこれでもかというほど感じられて、沖田は驚きのあまり涙が引っ込んでしまった。
最後に頬から落ちた雫を顎から掬われ、「ちなみに、」と顔を覗き込まれる。
「ここに辿り着くまでに、何回ハズレ引いた?」
「………百三十五回、です」
ぼんやりとした思考のまま告げれば、銀時は破顔した。
その顔がよく知る銀時のものと重なって、胸が苦しくなる。
「ははっ、頑張ったなぁ………うん、信じても良いぜ」
でも、逢い引きはここまでな?と吐息混じりに囁かれて、次の瞬間温かくて柔らかいものが唇へと押しつけられる。
ぽかんとしていた沖田だったが、何をされたか理解した途端に、顔から火が噴きだしたのかと錯覚するほどの熱に襲われた。
言葉も出ない真っ赤な沖田を見て満足そうに頷くと、銀時はやっと沖田の上から退いて浴衣の合わせを整えた。
「これ以上は浮気になっちゃうからごめんね。これからちょっと用事があってさぁ…」
「用事…?」
「そ、これからある会合に俺も参加なの」
相手の組の名前を言えば、沖田はあからさまに眉をひそめた。
「銀時さん、やめたほうがいい。その組はいい噂を聞きやせん。人身売買に手ぇ出してるって話も聞いたことがある。そんなところにあんたが行くなんて、危なすぎる」
「ご忠告ありがと」
銀時は内心ニヤリとほくそ笑んだ。
当たりだ。
自分という餌に、獲物が引っかかったのだと。
その時、離れから銀時を呼ぶ男の声が聞こえた。
姿の見えない銀時を探しているらしい。
「旦那さんが呼んでるから行くわ。じゃ、気をつけて帰ってね沖田くん」
銀時はにこりと微笑むと、沖田を茂みに押し込んで「はーい」と返事をする。
猫がいただとか何とか旦那に言い訳をしながら、銀時が離れへと戻っていく。
沖田は銀時に押し込められた姿勢のまま空を見上げた。
「…………ははっ」
木々の隙間から覗く半月が、大口を開けて自分を嘲笑っているような気がした。
――――――――まだ、夜は始まったばかりだ。
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