「おい、銀時」

ドアを開かれる前に一応ノックはされていた。
それにさえ気づかずベッドに腰掛けて呆けていた銀時は、突然かけられた声に驚いて肩を跳ねさせた。
目をぱちくりさせて、声をかけてきた不機嫌そうな顔の主を見上げる。

「……高杉」
「おまえ…何であんな任務引き受けた。先生にも知らせなかったみてェだな」
「……ん、先生怒ってた?」

銀時はふにゃりと困ったように、少しだけ苦しそうに笑った。
銀色の髪は湿っているし、いつも病的な程に真っ白な頬や体は桃色に染まり、全身からふわりとよい香りが漂う。
そして肩から背中を覆うようにかけられたバスタオル。
……というより、バスタオルしか身に纏っていない。
どこからどう見ても風呂上がりの銀時は、匂い立つような、しかしまだまだ発展途上の女の体を隠そうともせずに高杉と向き合った。

「先生がおまえのこと大事にしてるの知ってンだろ。先生泣かせんな」
「……でも、俺は…早く一人前になって、先生を安心させたい。先生を守れるようになりたい。隣に肩を並べて戦いたい」
「そのためならどんな仕事でもするってか。どんな相手だったんだよ」
「………何でそんなこと高杉に報告しなきゃなんねぇの」
「俺よりかっこよかったか?ん?」

高杉は、気まずそうに視線を落とした銀時の肩を強く押すと、ベッドへと仰向けに転がした。
銀時の肩からバスタオルがバサリと落ち、銀の髪が真っ白なシーツと溶け合う。

「お…おっさんだよ……少女趣味の変態なおっさん」
「……で?」
「お、おまえよりかっこいい奴なんてそうそういねぇから…」

多少焦ったように言う銀時を面白くなさそうに見ると、高杉は銀時の柔らかい体を強く抱きしめた。
目眩がしそうな程の甘い匂いが鼻腔を襲う。

「…ンな思い詰めた顔しやがって。殺しなんておまえには似合わねェよ」
「………ありがと、高杉。でも、俺はやる」

苦しそうな表情とは裏腹に、その声は決意に満ちた力強いもので、それにまた心を揺さぶられながらも、高杉はやりきれない思いを無理矢理に唾と一緒に飲み下した。







ブラ☆スター







         8







(さて…どうしたもんかね…)

銀時はぴこぴこ揺れるサーモンピンクのアホ毛を見ながら、目を細めた。
一時間ほど前からべらべらと機嫌よさげに喋り続ける神楽兄の名前が、神威だということはついさっき分かったばかりである。
にこにこしていても、その実抜け目なく自分のことを監視し、観察していることは嫌でも分かる。
大人しくここで見張られているのがよいのか、自力で抜け出したほうがよいのかは、銀時が自分自身で判断するしかない。
…都合良く誰かが助けに来てくれることを、期待してはいけない。

「で、俺にお着替えは用意されてんの?そろそろ体がふやけそうなんだけど…」

銀時は喋る神威の言葉を遮って大分温くなった湯から上半身を起こした。
湯に散らばった色とりどりの薔薇の花びらが体に引っ付くが、両手を拘束されていては自分で取ることもできない。
銀時が浸かる湯槽は部屋の真ん中に設置されており、風呂場のような壁などは周りに一切無い。
要するに、湯槽だけを後で部屋に運び込んだ体の部屋には、机椅子などの家具の他に、棚やクローゼットがあった。
全体的に殺風景ではあるが、一応家具はあるらしいことに期待して聞いてみると、頷いた神威がクローゼットの戸を大きく開いた。

「勿論あるよ。どれがいい?俺的にはチャイナドレスとかお勧めだけど」

そして次々と取り出される煌びやかな衣類の数々。
最悪何も着させてもらえないことも想定していた銀時は、呆気にとられてそれを見ていたが、はっと我に返って神威にストップをかけた。

「おい、何で女物ばっかりなんだよ。俺六時になったら男に戻るんだけど」
「別にいいんじゃない」
「いいわけあるか!!変態どころじゃ済まなくなるわ!!男物のシャツとズボンとパンツだけありゃいいから!!」
「注文が多いなぁ」

仕方なさそうに言いながらも、神威に男物の服を用意をする素振りは見受けられない。
銀時はだんだん焦ってきた。
そもそも神威はいつまで自分の世話を受け持つのか。
いつ競りにかけられるのか。
それとももう誰の手に渡るか決まっているのか。
状況によっては、あまりのんびりしてはいられない。

「とりあえず、俺が世話役なのは今日の明朝までかな。その後引き渡し」
「…へ?」

心を読んだかのような言葉に、銀時は僅かに目を見開いた。
神威は銀時の一瞬の表情の変化を見逃さず、にんまりと笑った。

「だから、傷さえ付けなければ、俺はおねーさんに何してもいいわけ」
「大事な商品に手出していいわけねぇだろ」
「今は深夜二時だから、まだ時間はた~っぷりあるね」
「話聞け。あとガキはとっととクソして寝ろ」
「つれないなぁ~」

神威は笑みを絶やさないまま、服をベッドに置いて歩み寄ってきた。
訝しげな銀時を見て更に口角を上げると、次の瞬間、何の前触れもなく銀時の首めがけて手刀を振り下ろす。
今度こそ顔を強張らせた銀時は、上半身を捻って湯槽から起き上がった。
顔面すれすれのところで神威の手刀を避け、起き上がった勢いのまま両足跳びで浴槽の縁に飛び乗る。
更に追撃してこようとする神威を目の端に捉え、銀時は足の指に力を込めて後ろ向きに浴槽をひっくり返した。

「わぁ!すっごい力!」
「…っんだよクソっ!」

神威に向かって浴槽が倒れるが、それすら見越していたように飛び上がって軽くかわされる。
倒れた勢いで湯が溢れ、盛大に部屋に散らかったが、神威は水滴一つ浴びないまま銀時が転がる床へと拳を振り下ろした。
首を振って避けた箇所に、ビシリと音を立てて神威の拳がめり込む。

「おいおい、この床大理石じゃねぇの…?」

顔を引きつらせたまま、銀時は縛られた両手を、床へと突き刺さった神威の腕めがけて振り上げた。
すぐに腕を引っ込めることで銀時の反撃を避けると、神威は今度は銀時の腹めがけて再び拳を振り下ろす。
銀時は即座に横に転がることでその一撃を避けたが、体勢を整える前に手首と足首を同時に掴まれてしまった。
両手両足はそれぞれ縛られているので、そこを掴まれたら完全に身動きがとれない。
そのまま床に縫い付けられて、銀時が悔しさに顔を顰めた瞬間、神威が本日最高の笑顔を浮かべた。

「期待以上だよ、おねーさん!俺びっくりしちゃった」
「…っ!」

体の下に先ほどひっくり返した時の湯が流れ込んできて、床と素肌が触れ合う冷たさを緩和する。
水浸しの床に強い力で押しつけられたまま、銀時は緊張した面持ちで口を強くひき結んだ。
裸で何も持たない銀時には、神威に対抗する術が無い。
緊張に身構える銀時から少しだけ離れると、神威は無邪気な笑顔から一変してうっそりと微笑んだ。

「綺麗だね、おねーさん。まるで羽をもがれた天使だ」

水が滴る髪も、体も、その下に散らばる羽のように、そして血のように水に浮かんで散らばる薔薇の花びらも、神威には全てが美しく映った。
その天使が、自分を今にも射殺しそうに睨んでいたとしても。

「お~い、だんちょ…って、何じゃこりゃ!」

いつまでも続きそうな異様な空気を破ったのは、野太い男の声だった。
ノックもせずに部屋へと入ってきた部下らしき男に、神威が銀時の上に覆い被さったまま顔だけを捻ってにこりと笑いかける。

「……阿伏兎、空気読んでくれないかな。今月の給料半分ね」
「はぁ!?っつーか、どういう状況だよこれ!何手出してんだよ!?」

阿伏兎と呼ばれた部下は焦ったように部屋の状況を確認し出す。
苦労して運び込んだ浴槽はひっくり返っており、床は水浸し。
そして裸のターゲットをその水浸しの床に押し倒している上司。

「お楽しみ中だったらどうするつもりだったの?」
「いやいや、もうお楽しみの後でしょ、この惨状」

呆れたように部屋に踏み入ってくる阿伏兎に、神威は渋々といったていで銀時の上からどいた。

「だって、このおねーさん、この状況でまだ逃げ出す算段してるんだよ?後々面倒なことになる前に、逃げるのは無駄って教えておかないと」
「…っ!」

銀時はぐっと言葉に詰まった。
表情には出していないつもりだったが、目の前の男には全て筒抜けだったらしい。
確かに、服を着せられる際の、足か腕かが解放される瞬間を狙うことも考えたりもしたが、今の神威との一戦でそれは絶望的だと分かった。
言動に脈絡がないように見えて、しっかりと釘を刺してきている。
銀時は心中で悪態をつくと、ゆっくりと上半身を床から起こした。

「……よーく分かりましたから、もう逃げねーよ。それより、服くれよ。欲情されちゃたまんねーし」

男二人がいる前で、いつまでも裸というのはさすがに居心地が悪い。
女物だろうが、男物だろうが、もはや着られれば何でもよかった。
そんな銀時の心情を知ってか知らずか、神威はにっこり微笑むと、銀時の腰と膝裏に腕を回して軽々と持ち上げた。
そのままベッドまで運ばれ、やや乱暴に服の散らばるシーツの上に投げ出される。

「人聞きが悪いな~。でもまあ…おねーさんとの子どもなら、きっと誰よりも強い子になるね。それは面白いかも…」
「面白いってどういうことだよ」

どうやら、目の前の夜兎は、性欲よりも戦闘欲が勝っているらしい。
それに安堵なのか逆に恐怖なのかよく分からないものを感じつつも、銀時は阿伏兎が神威に渡したふかふかのタオルに乱暴に全身を拭われるのに黙って耐える。
そして銀時は神威に服を着せられながら、自分の考えが随分と甘かったことに気づいた。
銀時の強い要望でパンツだけはなんとか男物になったが、今現在女である銀時に着てもらいたいのはやはり女物であるらしく、神威は腕を通さなくてもよい……、つまり、手足が拘束された状態のままでも着られる服ばかりを選んだ。

「残念だったなぁ。まぁ、引き渡しの時は全裸でって話だから、今のうちに服のある時間を堪能してくれよ」
「全裸!?」

銀時は目を剥いて何でも無いことのように言った阿伏兎を見た。

「いやねぇ、あんたがお客さんにお披露目されるのが、本日午後五時半からだってのがついさっき知らされてなぁ…どういうことか分かるだろ?」
「……悪趣味すぎんだろ」
「俺らの趣味じゃないからね」

ろくな目に遭わないことは覚悟していたが、ここまでとは。
銀時は嫌悪感丸出しで、やれやれと溜息をついている二人を睨んだ。
要するに、銀時が男から女に変わる瞬間まで客に見せようという魂胆だろう。
だから全裸…と。

「まぁまぁ、人間が腐ってることなんて分かりきったことじゃない。どーせなら楽しんでこーよ」
「楽しめるかボケェェェ!!」

今も胸元と背中が大きく露出した、金の刺繍が施された真っ青なドレスを着せられながら銀時は盛大に顔を顰めた。

「せっかく美人さんなのにそんな顔してちゃ台無しだよ?言葉遣いも乱暴すぎ~」
「知るか!!俺は元は男なんだよ!!」

ドレスと同じ、サファイアの真っ青な目が剣呑に細められる。
銀時は着せ替え人形となりながらも、これからのことに必死で頭を回転させていた。
自分だけの力で神威達の目をかいくぐって逃げるのはほぼ不可能。
ならば、逃げるチャンスは引き渡された後。
もしくは、買い手に渡った後。
大勢の前で逃げ出すのはあまりよい作戦ではないが、もし買い手に体の自由を奪われ、そのまま監禁されたりでもしたら、ジ・エンドだ。
おそらくこの二人の夜兎は、自分を引き渡したらそこで仕事終了。
後のことに介入してくることはまずないだろう。
そこまで考えたところで、銀時は反射的に体を左に転がした。
コンマ零秒の差で銀時が先ほどうつ伏せに転がされていた場所に神威の拳が食い込む。

「~っ!さっきから何なんだよいったい!?」
「だーかーらー、むかつくんだよね。先のことよりも今のこと考えなよ」
「……何、おまえ読心術でも嗜んでんの?」
「おねーさんが顔に出しすぎなんだよ。バレバレ」
「あんたの殺気もバレバレだけどな。寝てても避けられる自信あるぜ?」
「俺は隠す気ないもん」

銀時は柔らかいベッドに顔半分を埋めながらも、注意深く片目で神威を見た。
神威は相変わらず読みにくい表情を浮かべて同じくこちらを見ている。
このやりとりが朝まで続くかと思うと、正直気が重い。
…というより、体力の消耗が半端ないことだろう。

「…あー……俺もう寝るわ。おやすみー。時間になったら起こして」

銀時は溜息をつくと、顔全体をベッドに埋めながら言った。
手探りで神威の膝で踏まれていたふかふかの枕を、引き抜き引き寄せてぎゅっと抱きしめる。
目を閉じて視界を封じれば、すぐに睡魔に襲われる。

「…おねーさんホントに肝座ってるよね。本気?」
「本気本気。朝までおまえに付き合ってらんねーよ…………寝てる間に…変なこと……すんなよ…」

眠たそうにそれだけを絞り出すように言うと、銀時は数秒と待たずに本当にその場に眠り込んでしまった。
後には銀時の規則的な呼吸音だけが静かな部屋に残される。

「マジで寝ちまったぜ、このねーちゃん」
「…つまんないの。朝まで遊んでもらおうと思ってたのに」
「団長がいじめすぎたんだろ」

銀時の頬をぷにぷにとつつきながら落胆混じりの声で言う神威に、阿伏兎が呆れたように返す。
本当に寝られてしまったら、神威達は銀時に対して何の手出しも出来ない。
そのことに気づいた瞬間、銀時は迷い無く寝る道を選んだ。
それが神威は当然のごとく気にくわなかった。

「残念だよねー…変態オヤジ共に渡るのが惜しいよ、ホント」
「団長…わきまえてくださいよ」
「分かってるって~」

本当に分かっているのか不安を煽るような笑みを浮かべて、神威は銀時の頬をそっと撫でた。


***


「今すぐ助けに行くべきでしょう!!場所は分かってンだ!!」

高杉の僅かに焦りを含んだ声が、広い部屋の中に響き渡った。
執務室のようにも見える、大きな机と上質そうな木の本棚とが置かれた、どこか荘厳さを感じさせる部屋。
奥の机に座った男が両肘を机の上に乗せ、組んだ手の上に顎を乗せると、ドア側に立った高杉、桂、坂本は反射的に居住まいを正した。

「……落ち着け、高杉」
「っせェな…」

極々小さな声で窘めてきた桂に、分かっているというように、高杉も隣にようやく聞こえる程の声で返す。
小さく咳払いをして、高杉は改めて机に座る男…課長と向き合った。
しかし、視線に苛立ちが混じってしまうのだけはどうしようもなかった。
先ほど高杉が思わず吠えてしまったのは、課長が銀時の迅速な救出案を却下したためである。

「おまえ達も分かっているように、これは坂田のピンチと同時に相手を潰すこの上ないチャンスだ。今坂田の詳しい位置情報と絡めて、近日行われる非合法人身オークションの情報を集めさせている。おまえ達は確実な情報が手に入るまでは待機だ」
「しかし…!もし銀時にもしものことがあったら…!本当にオークションが行われるかも分からないのに!」
「聞き分けがないな高杉。ここ、『braster』に身を置いているからには、坂田自身もよく分かっているはずだ。この組織で己がどんな立ち位置にいて、己にどんな価値があるのかもな」
「……っ」

そんなことは分かっている。……分かっているのだ。
高杉は唇を噛んで視線を僅かに落とした。
銀時たち四人は、brasterの課員として、警視庁へチームで長期潜入を行っていた。
今回の事件で大捕物があれば、数年にわたる潜入調査兼囮は大成功と言えるのだろう。
だが、それは組織としてであって、高杉達にとっては銀時が犠牲になるなど最悪の結果であって死んでも御免だ。

「私情を挟むようなら、今回の件からおまえ達を外す。私とて坂田に無事に帰ってきて欲しい気持ちは同じだ」
「…すみませんでした。指示には従いますので、引き続きこの件は私たちに任せていただけませんか」

一歩前に出て申し出た桂に、課長も小さく溜息をついた後に頷いた。

「いいだろう。くれぐれも頼むぞ。おまえ達のチームワークと実力は高く評価しているんだ。ただし、今回は事件の規模も規模だけに、おまえ達とは別のチームも動かす。異論はないな」
「「「はい」」」

三人揃って頭を下げると、課長は椅子から立ち上がり、背後のカーテンを開けた。
そこには壁と同じ横サイズの液晶ディスプレイが埋め込まれており、カーテンが自動で開ききると同時に様々な情報を映し出す。

「ちなみに諜報員により人身オークションが行われることは既に掴んでいる。期日は…本日の午後五時半から」
「今日!?」
「昨日のうちに参加者へと案内がばらまかれたらしい。信じられない準備の速さだ。アルビノの出品に関する記述もあったようだし、まず間違いないだろう」
「そこまで分かっているなら、どうして…!」
「坂田のいる場所が場所なんだよ…」
「え…」

ディスプレイに、銀時の位置情報が細かく表示される。
高杉、桂、坂本は思わず目を疑った。

「課長…これって…」
「心配するな、坂田の生体反応は消えてない」

そう、銀時には位置情報をすぐにつかめるように体内にマイクロチップが埋め込まれている。
これは銀時が特別というわけではなく、課員全員に施されていることであり、位置情報を発信する他、生存しているか否かまでが分かるようになっている。
銀時のように、捉えられて身ぐるみを剥がされた場合でも大丈夫なように、外側から見てもまず分からない。

「これ…銀時が知ったら卒倒するのではないか…?」
「違ぇねェや」

ディスプレイを見て固まる三人に、課長は再び溜息をついてみせた。

「……というわけでな、もしこの情報が正しいなら一筋縄ではいかない訳だ。今諜報員が裏を取っているが、同時に既に別チームが対策を死ぬ気で考えて準備している。おまえ達もすぐにそちらに合流してくれ」

勿論異論があるはずもなく、三人は一礼すると課長室を飛び出して対策室へと向かった。


***


「…ふ、あ…ぁ……あー、……寝た寝た…」

ゆっくりと覚醒した銀時は、緩慢な動きでベッドから体を起こした。
視線を下に下げれば、豊満な胸と体を覆う無理矢理着せられたドレスが……既に無く、銀時は全裸の状態だった。

「……まじかよ。仕事はえーな…」

股に異物感はなく、目ざめも申し分ないことから、本当に何もされていないのだろう。
殺されることはなくても、辱めを受けるくらいの覚悟はしていただけに少し拍子抜けする。
部屋に時計はないが、おそらく時刻は六時五分前といったところだろう。
目覚ましが無くても、体に異常が出る時間帯になると目が覚めてしまうのがこの体になってからの常である。
案の定、体への違和感が大きくなると同時に、部屋に神威と阿伏兎が入ってきた。

「おっ!間に合った?」
「……ちっ、来るんじゃねーよ……っく」

ベッドに突っ伏す銀時の舌打ちも虚しく、騒がしく神威が側へと寄ってくる。

「おはよーおねーさん!調子どう?わー!超悪そう!!あ、服は脱がしておいてあげたよ!」
「じゃあついでにパンツくらい履かせてくんない…?このままじゃさすがに居たたまれないんだけど…」

今の状態では逃げることはおろか、立ち上がることさえ困難だ。
神威にもそれは分かったのか、にこりと笑うと銀時の足の拘束を外した。
本当なら神威を力の限り蹴り飛ばしてやりたいところだが、それも出来ないほどに銀時の体は鉛のように重くなっていた。

「何がいい?Tバック?褌?それとも…」
「………トランクスで…」

絶対零度の眼差しでそう言えば、神威は少しも悪びれること無く「しょうがないなぁ~」と言いながらクローゼットを漁り、引っ張り出したそれを銀時に履かせた。
勿論、履かせた後に足を拘束し直すのは抜かり無い。

「どんな風に変わるのか興味あったんだ~」
「……見んな…ボケ」
「わ~可愛くな~い」

銀時の額に脂汗が滲む。
半日ごとに繰り返されることだが、いつまで経っても慣れることはない。
骨が軋むような痛み。
内臓が押しつぶされるような圧迫感。
過剰に早鐘を打ち続ける心臓は、今にも口から飛び出てきそうだ。
今日はいつものように「大丈夫だ」と抱きしめて宥めてくれる人もいない。
こんな状況だからか、いつもに増して人肌が恋しくなる。
神威の手前、絶対に口になど出さないが。

(高杉たちは……どうしてっかな…多分俺のこと助けようとしてくれてると思うけど…)

組織にいる以上、勝手な行動は許されない。
課長にストップを食らって苦虫を噛み潰したような顔をしている高杉が容易に想像出来て、ほんの少しだけ可笑しくなる。
銀時は大きく息を吸うと、穴が空くほど見つめてくる神威に背を向けて、小さく震える体を宥めるように自身をかき抱いた。
柔らかいだけであった体は、大分筋肉質になってきている。

(俺のせいで…思い詰めてなきゃいいけど……まぁ生きてることは伝わってると思うけど)

神威達にも気づかれることのなかった、自身に埋め込まれたマイクロチップが正常に作動していれば、既に銀時が生存していることや、位置情報まで掴めているはずである。
後は仲間がどのタイミングでつぶしに来るか…
いつどのタイミングで来ても、対応できるように心構えだけはしておかなければいけない。

「ぅ……はっ……ぁ」

そんなことを考えている内に、完全に男の体に戻ったようで、体の違和感は波が引くように治まってきていた。
額の汗を拭いつつごろりと寝返りを打てば、ずっとこちらを見続けていたらしい神威と目が合った。
若干驚いて目を見開けば、それ以上に目をまん丸にした神威がずいと距離を詰めてきた。

「ほぁぁ…本当におねーさんがおにーさんになっちゃった…」
「…んだよ…分かってたことだろ」
「んんー…何て言うか想像以上の連続だね…いいよ…おにーさんすごく強そう…虐めたい…」
「はっ!?」

銀時は今度こそ勢いよく体を起こして、尻と縛られた足だけで神威から後ずさった。
そりゃあ、確かに女の時と比べれば男の体の方が強く見えるのは当然だろうが…

「それにどこもかしこも真っ白ですごく色っぽいね…男に対してこんなこと思うのなんて初めてなんだけど……あちこちに痕付けてあげたい…」
「……あの…冗談もほどほどに…」
「今すぐいい?」

そう言って拳を握った神威に、銀時は一気に血の気が引いていく気がした。

(痕ってそっちかよ…!)

手足が拘束された状態でたこ殴りなんて死んでも御免だ。
今にも拳を振り下ろしそうな神威から距離を取ろうと、揃った両足に力を込めた所で、風のような速さで神威の頭に拳骨が振り下ろされた。

「った~!!何すんの阿伏兎!!」
「そりゃあこっちの台詞でしょうよ、団長。商品って何回言ったら分かるんですか。俺ら夜兎と違って人間はすぐに回復しないんですからね。今傷なんてつけたら数日は消えませんよ」
「…えぇ~…脆いね人間って…」

容赦なく殴られた頭を押さえながら、神威はやっと銀時で遊ぶことを諦めた……らしい。
不満そうにしながらも、ベッドから離れてクローゼット側の簡素な椅子に腰掛けた。
銀時もそれを見届けるとやっと全身から力を抜いてベッドに崩れ落ちる。

「おにーさんの買い手はどんな人だろーね?」
「…そりゃあ、可愛いねーちゃんに超したことはねぇけど」
「まぁ九割方キモいおっさんだよね-!!」
「………」
「勿体ないよ…うん、ホント、勿体ない…」
「………?」

ふかふかの枕に突っ伏して視線さえも寄越さない銀時に構わず、神威はぺらぺらとよく喋る。
言葉を返しつつもてきとうに聞き流していた銀時だが、不意に不穏な気を感じたような気がして顔だけを上げる。
そして神威の表情を見てしまった銀時は、隣で溜息をついている阿伏兎に祈るように告げた。

「お願いだから、おたくの団長さん、ちゃんと手綱握っといてね」
「…善処するよ」

果たして、無事に高杉達の元に帰れるのか。
銀時は不安を抱えたままその日の夕方を迎えることになった。


***


「ようこそおいでくださいました。招待状を…」
「おう」

招待状を渡した後に、ICカードを通して本人認証を行い入場ゲートをくぐる。
ざるのようなセキュリティだと、高杉は内心で独り言ちた。

「ちょっとあなた、そんなに急がないで」
「……………悪ぃな」

腕を絡めてきた桂に、高杉は僅かに表情を引きつらせながらも、ゆったりとメインホールへと足を進めた。
ぱりっと糊の利いた真っ白なシャツに、皺一つ無い上質な黒スーツ、同じく黒のソフトハットを被った、隙一つ無い紳士姿の高杉に対して、桂は髪を結い上げ、紺の地に控えめに白銀の花が散る着物を着こなした、上品で慎ましい出で立ちであった。
端から見れば、どこからどう見ても、少し年若いおしどり夫婦だ。
入場ゲートでは、ICカードによって登録された顔写真と見比べて本人かを確認しているようだが、サーバーに記録されている顔写真情報を書き換えてしまえば済んでしまう話である。
持ち物検査も勿論されたが、あの程度の検査でバレるような隠し方をするはずがないし、それも結局無意味だ。
耳に仕込んだカスタムIEMからは、坂本からひっきりなしに情報が送られてきている。
今日のオークションのラインナップ、参加者、過去のレート、主催者云々…
どうやら既に商品はステージに上がっているらしく、動物でも閉じ込めておくような檻が真っ赤な布を被って陳列していた。
あの中のどれかが坂田銀時である。
桂と高杉は同じく真っ赤なテーブルクロスのかかった席へとつき、雑談をしながらも注意深くあたりを観察した。
参加者は老弱男女様々で、天人と人間が半々くらい。
皆そわそわと落ちつきなく舞台上を見ている。
しばらく経つと、メインホールの照明が落とされ、ステージへと明かりが灯った。
どう見ても人間には見えない司会者が、今日のオークションについて説明を始める。

「想像以上の人数だな…」
「あぁ…」

桂と高杉は二人にしか聞こえない声量で会話を交わす。
坂本から前回のやその前のオークションの参加者数は事前に聞いていたが、今回の人数はそれを遙かに上回るものだった。
おそらく大半の参加者が狙っている銀時は、今回のオークションのメイン。
競りにかけられるのは大トリだろう。
ここのオークションは現金払い即時持ち帰り制。
勿論商品が暴れないよう、買い手が決まればすぐに眠らされ、十分に拘束された後に引き渡される。
絶好のチャンスは、錠のかかったあの檻が開けられ、引き渡される瞬間。
銀時を保護した後に、主催者である天人連中を一掃して撤収、来客も後から来る予定の警察が全て拘束という流れになっている。
警察と違い、brasterのやることは逮捕では無く粛清。
ここが血の海になることははなから決まっていることである。
そんな未来など予想できるはずも無く、オークションに夢中になっている連中のなんと愚かなことか。
血の終末に向かって、オークションは次々と進んでいき、ついにステージ上で最後の布が取り払われた。
現れたアルビノの姿に、参加者から本日一番の歓声が上がる。

「さぁ、お待たせいたしました!本日のメイン、希少な人間のアルビノでございます!!」

ステージ上のライトに照らされ、更にその肌は白く見える。
銀時のその一糸纏わぬ姿に、高杉は思わず眉をひそめた。

「おい…こりゃあ…」
「あぁ…何とも悪趣味なものだ…」

檻に横たわる銀時は、体を縮こまらせて小さく震えている。
それもそのはず、現時刻は…

「実はこのアルビノ、半日ごとに性別が入れ替わるのです!本日皆様には、特別にこの希少なアルビノの性別が変わる様子をご覧頂きたいと思います!!」

午後六時ジャスト。
会場は異様な熱気と歓声に包まれていた。
以前の飼い主の関係者か当事者か、銀ちゃん、銀ちゃんと狂ったように叫ぶ声も聞こえる。

「高杉…堪えろよ…」
「……分かってる」

今すぐあの檻の側に駆け寄って、震える手を握ってやりたい。
いや、檻の中から引っ張り出して、抱きしめてやりたい。
しかし、今はまだ、その時では無い。
銀時も、それが分かっているから、いると分かっているはずの高杉たちには目もくれずに現状に耐えているのだろう。
銀時が完全に女の体になった時には、ホールの熱気は最高潮にまで達していた。
いよいよ競りが始まる。

「さぁ、一千万からスタートです」
「……マジかよ…」

響き渡るアナウンスに、高杉も桂も思わず顔を顰めた。
先ほどまでの前座と零の数が違う。
参加者はさも当然のように、二千万、三千万と札を上げていく。
金銭感覚が麻痺しそうになるが、ここで負けては後々の動きに支障が出てくる。
八千万あたりで停滞し始めたあたりで、高杉は札を高々と上げた。

「二億だ!!」

会場がざわりとどよめく。
さすがの銀時もギョッとしたように顔を上げた。
高杉は緊張の面持ちで周りのテーブルを見るが、今のところ札は上がらない。
このままいけば、最善のプランで事が進む……

「じゃあ俺は十億で!!」
「…っ!!??」

と思いきや、場にふさわしくない明るい声がホールに響き渡った。

「なっ…!」

司会者が天井を仰ぎ見ると同時に、上からサーモンピンクの塊が降ってきて、檻の上へと華麗に降り立った。
檻から伝わる衝撃に、銀時は目を白黒させながら真上を見上げる。

「かっ、神威…!?」
「おねーさんは俺がもらうね」

上から凶悪な笑みが向けられると同時に、ホールいっぱいに轟音が響き渡った。
それが神威の蹴りによって檻が破壊された音だと真っ先に気づいたのは一番近くにいた銀時である。
しかし、手足を拘束されたままでは、せっかくあいたその檻の穴から逃げ出せるはずもなく、銀時は為す術も無く神威に抱きかかえられた。

「なっ、なっ、何してくれちゃってんの!!??」
「んー?だって俺の仕事はもう終わってるし?おねーさんを買うのは俺の自由だよね?」
「そうじゃなくてーー!!!!」

銀時の悲痛な叫びは、顔面蒼白でこちらに駆け寄ってくる阿伏兎と、高杉たちの声と重なってホールに響き渡った。





→9