「………これは何の真似だ、坂田銀時」
「あ、ようやく気づいた?」
警視庁長官は、顔にびちゃびちゃと当たるぬるま湯に、一度開けた目を慌てて細めた。
薄目でも分かる、目の前にいるのは坂田銀時である。
ただし、今は女性の姿となっているが。
顔に直接かけられていたシャワーが止められ、やっと普通に開けることができた目で状況を確認すれば、ここが湯煙が立ちこめる風呂の中だということが分かる。
そして自分と目の前の坂田銀時が全裸だということも。
「私は…車に乗っていたはず。それがどうしてこんなことに」
「頑張って思い出せば?」
銀時は素っ気なく返すと、ボディウォッシュ用のスポンジを泡立たせて、堅いタイルの上に横たわる長官の体を首元から順に洗っていく。
やめろと銀時を突き飛ばそうとして、やっとそこで自分の両手が拘束されていることに気づいた。
それぞれの手首が足首と繋がれており、見事に自分の意思で動くことができない。
さすがイイ体してるね、と銀時は長官が動けないのを良いことに好き勝手全身を擦っていく。
「やっ、やめろ!!くっ……そ、そうだ、私は妻から、娘が事故にあって病院に運ばれたという知らせを受けて…!こんなところにいる場合ではっ」
「んー、大丈夫。あれ全部嘘だから。っていうか、さっきの電話かけてたの俺だから」
「は!?」
「だから、俺とゆ~っくりしていっても、大丈夫だよ?」
殊更に色香を滲ませた笑みを湛えて、銀時は長官の頬をするりと撫でた。
それにびくりと震えた長官を見て、銀時は更に笑みを深める。
「ばっ、ばかな…!あれは確かに妻の声…!!」
「俺、声真似すっげぇ得意なの。似てただろ?」
「もしそれが真実だとして、どうして妻の声を知っている!」
「えー、そりゃあ、さっき電話したもん、奥さんと」
ちなみにこれは嘘ではない。
銀時は、高杉たちといたあの車の中から、長官の七歳の娘と同級生の母親と偽って長官宅へと電話をかけた。
そのときに、奥さんの声を録音し、音声ファイルを入手させてもらった。
あとは自作の音声合成ソフトを使えば、その奥さんの声で指定した言葉を読み上げてくれるというわけである。
しかし、そこまで長官に伝えてやる義理はない。
「あーあ、なんか俺ばっかり話してるじゃん。今度は長官の話、た~っぷり聞かせてよ」
銀時は長官の足の先までを丁寧に洗い終えると、再びシャワーを手に取ってお湯を出した。
泡まみれの体を洗い流しながら、楽しそうにクスクスと笑う。
「俺からも、いろいろお礼がしたいな。せっかく久々にこうして会えたんだし…ね」
長官はごくりと生唾を飲み込んだ。
相手が半分は男だと分かっていても、いざ本人を目の前にすると、その艶めかしい肢体に目を奪われ、思考がショートしそうになる。
しかし、銀時の方は違うだろう。
記憶がとんでいるので何とも言えないが、車を襲い、ここまで自分を連れてきたのはこの坂田銀時で間違いない。
坂田銀時を保護するよう、警備部と刑事部に特命を出したのは自分だ。
発信器を付けることに成功したと聞いたので、交通部の交通規制も手伝って捕まるのも時間の問題だと楽観していた。
しかし、ここに一人でいるということは、捕獲は失敗したということになる。
…というより、自分が捕獲されてしまっているのはどういうことか。
「いったい…何をしようというんだ」
「…楽しいことしよーぜ?長官が俺の質問にちゃんと答えてくれたら、いっぱい気持ちよくしてあげるから」
ただし、答えてくれなければその時はお仕置きだな、と悪魔のような笑顔で宣う。
自分がどのような目に遭うのか全く予測できていない長官を、銀時はその細腕に似合わぬ力で持ち上げた。
泡だけを洗い流したびしょ濡れのままで、風呂場を出た先にある真っ白なベッドに二人して倒れ込む。
「記念撮影しようよ、長官」
「き…?」
銀時は半身を起こすと、ベッドサイドに置いてあった携帯電話を手に取った。
そのままカメラアプリを起動すると、片手で長官の頭を胸に抱き寄せてシャッターを切る。
「なっ、何をして…!!」
「んー、こうしておくと、長官も話す気になるでしょ?あ、ちなみにこの部屋の出来事は全部録画されてるから。写真も動画もボタン一つで奥さんに送信可能だから」
「…っ!!」
銀時は今度はベッド下から一抱えほどもある箱を取り出した。
中には、長官からしたらどう使うのか見当も付かないような道具が所狭しと詰まっている。
「ご褒美たっぷりもらえるように頑張ってね?」
銀時はぺろりと唇を舐め上げると、長官の体に乗り上げた。
拷問は、男のほうが簡単だ。
ちょっといじめて、ちょっとご褒美をあげて、そしてちょっとじらしてやればたちどころにぺらぺらしゃべり出す。
時間はたっぷりあるわけではないが、長官との関係が初めてではないことが幸いである。
嗜好、イイところ、弱いところが銀時の記憶の中にきちんと刻まれている。
「じゃ、まず一つ目の質問ね。……俺を保護してどうするつもりだったの?」
***
「…はじまったぜよ」
「おう辰馬、一言も聞き漏らすんじゃねェぞ」
車の後部座席に銀時のVAIOを含めたパソコン二台を広げた坂本は、銀時からの写真を受け取りつつ、リアルタイムの映像と同時にイヤホンマイクから聞こえてくる声に神経を集中させた。
「はぁ~…とは言っても、金時のお仕置きはそこらのAVより遙かに刺激的じゃからのう…わしの息子が耐えれるかどうか」
「変わってやろうか?」
「いんにゃ」
痛めつける拷問よりも、性的拷問のほうが吐露率が高いというのは銀時の持論である。
正直、銀時にあんなことやこんなことをされてしまっては、坂本でも何でもかんでも暴露してしまうだろうと思う。
今回本気の銀時にそれを実行される長官が、哀れであり、同時に羨ましくもある。
坂本は大きく溜息をつくと、不服そうに座席にもたれ掛かる高杉をちらりと見た。
今回銀時以外の三人は、銀時のサポートという形になる。
長官が吐いた情報の裏付けをすぐさま取る役目と、銀時に何かあった時のために控えている役目、そして周囲の安全確認をする役目。
車の前座席でホテルの入り口から付近を目を光らせて監視しているのが高杉、そして建物内の銀時の近くで銀時とその周囲を監視兼待機しているのが桂である。
桂のことだから、部屋の周りで清掃員のおばさんあたりになりきっていることだろう。
「さすが腐っても警察庁長官…なかなか強情じゃのう…」
拷問では最初から核心に迫らず、話しても差し障りのなさそうな情報から順に引き出していくというのがセオリーだが、長官は知らぬ存ぜぬを貫き通すつもりらしく、今のところ情報という情報は全く引き出せていないと言ってよい。
しかし、ここからが銀時の真骨頂が発揮されるところである。
まずは、長官が今回の企みのトップなのか、それとも更に別からの働きかけがあるのかを知ることが先決。
「金時、長官の奥さんと直接電話を繋ぐのもありぜよ」
『んー…それは最終手段だな』
銀時の耳穴には小型のカスタムIEMが仕込まれており、そこにマイクも取り付けてある。
坂本が話しかければ、銀時の声を殺したささやき声が返ってきた。
銀時の声の後ろに、長官の悲痛な喘ぎ声も聞こえる。
「あんまりそこに長居できんっちゅーこと、忘れちゃあかんぜよ」
『分かってるって…』
若干緊張を含んだ銀時の声が返ってきて、坂本も濡れ場をリアルタイムで見つつも再び気を引き締める。
銀時が今このときも警察に追われていることは変わらないし、もし長官の行方が知れないとバレたらここにいるのもかなり危ない。
検問をくぐったとはいえ、東京近郊にいるということは変わらないのだから。
しかし、坂本の危惧したように、長官はなかなか核心部分で口を割らなかった。
「金時、自白剤は?」
『ちょびーっとだけ飲ませてみたけど…こりゃ相当な精神力だな。チオペンタールって飲ませすぎると寝ちまうんだよ。これ以上は使えねぇ』
疲れたような銀時の声が、イヤホンマイクを通して坂本の耳に流れ込む。
長官の喘ぎ声はともかく、銀時の色っぽい声を聞き続けた耳がそろそろ妊娠しそうである。
「じゃあ、ついに奥さん登場かの?」
『ここまできたら仕方ねぇかな。…まぁ、でも、長官が黒幕のトップじゃないことは多分確実だ』
「まっことなが」
『ああ。まぁ、言ってることが嘘か本当かくらいは分かるんだけどな…さすがに詳しいところまでは直接話してくんねぇと分かんねぇわ』
受け答え、声のトーン、表情、眼球の動きなどから、人が嘘をついているかを見抜くのに銀時は長けている。
だからこそ、本来ならば一番隠さなければならない銀時を送り込んでいるのである。
それに、銀時に仲間がいることも向こうはまだ把握していないので、ここでほいほいと長官相手に情報提供してやる訳にもいかない。
『まぁ、とりあえず…って、は!?』
突如、銀時の声がガシャーンというガラスが割れたような音にかき消されて、坂本は思わず車内からホテルを見上げた。
高杉も瞬時に車から出て、懐から拳銃を取り出しホテルの三階に向ける。
銀時がいるはずの三階の窓に大きな穴。
近くを歩いていた一般市民が悲鳴を上げて散っていく。
カメラからの映像を見れば、窓から侵入してきたらしい人影が、銀時の延髄付近に手刀を入れる所だった。
突然の事とはいえ、あの銀時が為す術も無く崩れ落ちる。
まさか上から奇襲されるとは思ってもいなかった高杉が、大きく舌打ちをした。
「ヅラぁ!!」
今から上に上がっても間に合うはずがない。
上で待機しているはずの桂に叫ぶのと、銃声が部屋から聞こえるのとが同時だった。
おそらく桂が発砲したと思われる銃弾と共に、穴のあいた窓から人影が飛び出す。
腐っても三階だ。
生身の人間が飛び降りて無事で済む高さではない。
しかし、その人影はあろう事か、長官…ではなくシーツで包んだ銀時を抱えて地面へと降り立った。
「天人か!?」
着地した途端すぐに走り出した相手を、高杉がすぐに追う。
坂本も援護にと車から出て銃を構えたが、銀時に当たる可能性を考えてすぐに下ろした。
代わりに、すぐさま運転席に乗り込んで車を乱暴にUターンさせる。
相手は、銀時を抱えているのにも関わらず足取りが恐ろしいほどに軽い。
手ぶらのはずの高杉が距離を縮められないほどに。
高杉の拳銃が相手の足下を狙って火を噴くが、坂本同様銀時に当たるのを危惧して乱射することができない。
しかも、相手は銀時を抱えているのとは別の手で器用に発砲してくる。
坂本は相手の前に回り込むつもりで車を前進させたが、突如前方から黒塗りの車が車道を逆走してきた。
ドリフトしながら一回転した車は、タイミング良く開け放たれた後部座席のドアから相手を迎え入れる。
停車することなく二人を乗せた車は物凄い速度で今度は左車線を走り始めた。
しかし、このまま黙って見過ごすわけにはいかない。
突っ込んでくる暴走車に思わず体を引いてしまっていた高杉は、苦虫を噛み潰したような顔で、坂本の運転するMINIクーパーSに乗り込んだ。
乗り込んだのと同時に、坂本も車を急発進させる。
「サーブ9-5エアロXWDじゃあ。この車じゃきついぜよ」
「何泣き言言ってンだ。とにかく追うぞ!おいヅラぁ!何逃がしててンだボケェ!!」
『お互い様だろう!彼奴、天人だぞ!』
「ンなこたァ分かってンだよ!!おまえ拾ってる暇ねェから、そこの長官の後片付けでもしとけ!」
結果的に置いてけぼりとなった桂とイヤホンマイク越しにやりとりしつつも、高杉は助手席のシートを倒して、後部座席のシート下を持ち上げ、意図的に作られた隙間からM60機関銃を取り出す。
「アウトバーンならともかく、ここは町中だ。負けが決まった訳じゃねェだろ!」
高杉はフロントドアの窓を開け、上半身を車から乗り出した。
冷えた風が顔に当たり、苛ついていた気分もほんの少しだけ落ち着く。
しかし、ここをアウトバーンと勘違いしているのではないかと疑うほどのスピードで、前方の9-5エアロは爆走を続けている。
坂本も離されまいと、赤信号も全て無視して追走する。
後ろや横で車同士がぶつかる音がひっきりなしにしているが、そんなことは構っていられない。
「小回りはこっちのほうがきくだろ!とにかく近づけ坂本!」
「言われんでも分かっちゅうが!」
坂本は車と悲鳴が飛び交う地獄絵図の中を、隙間をぬって走る。
高杉は、窓から引っ張り出したM60を構えたが、さすがに安定しない。
これでは自分が振り落とされるか通行人に銃弾が当たるかだ。
どっちも笑えない。
「おい坂本ォ!天井借りるぜェ!」
「は?天井?」
高杉は一旦車内に戻ると、後部座席のほうへ回って、天井に向かって肘を振り上げた。
車の天井が見事に長方形型にくり抜かれ、天板が宙を舞って後ろへ飛んでいく。
「ぎゃあぁあああ!!わしのクーパーちゃんの天井が!!いつの間に!!」
「ぎゃーぎゃー五月蠅ェな、ちょっとオプション付いただけだろーが」
坂本の知らぬ間にオープンカーにされていたクーパーの天井部分から、高杉がM60を引っ張り出す。
平らな所におければ、狙いも定めやすいというものだ。
自身も半身を天井上に乗りだした高杉は、百メートル近く先を走る9-5エアロに狙いを定める。
幸いにも、通行人は死ぬ気で車道から離れている。
直接人に当たることはなさそうだ。
多少他の車に当たるかもしれないが、そのような些細なことは知ったことではない。
「銀時を返しやがれくそったれ!!」
「高杉、金時が乗っちゅうことを忘れたらいかんちや!」
坂本の声が聞こえているのかいないのか、連射される銃弾が9-5エアロに命中していく。
しかし、予想通りというか何というか、9-5エアロは銃弾などどこ吹く風で走り続ける。
慌てる様子もないことから、おそらく防弾車なのだろう。
防弾ガラスだとしたら、乗り移ることも難しい。
「ビーストかよ、いかれてるぜくっそ!坂本、もっと寄れ!どうせあのぶんじゃランフラットタイヤだろーが…」
とにかく、タイヤをパンクさせることくらいしか対抗手段はなさそうだと判断した高杉は、足回りを狙って連射しまくる。
「坂本!ロケットランチャー!」
「そんなもん積んでないぜよ!」
しかし、追跡車両を今まで放置していた9-5エアロの窓が突然開いた。
突然のことに驚愕する高杉の前で、RPOロケットランチャーが顔を出す。
「やべェ!向こうが持ってんじゃねェか!坂本回避!死ぬぞ!」
ただのMINIクーパーSがロケットランチャーの直撃に耐えられるはずがない。
悲鳴を上げてハンドルを切る坂本だったが、近づきすぎていたのがあだになった。
見事に右前輪に直撃を食らったクーパーSは、衝撃で一回転した後に、歩道へと突っ込んだ。
「爆発すんぞ坂本ォ!」
M60だけ抱えて先に車から飛び降りた高杉は、舌を噛んだらしくひーひー言っている坂本を運転席から引っ張り出す。
全速力で走って二人同時に地面へと伏せた瞬間、轟音と共に頭上を爆風が通り過ぎた。
「わ、わしのクーパーちゃんが…」
「壊れてもいい車だったんだろ」
「うぅ…」
しかし、命が助かったからといって安心している場合ではない。
高杉は素早くあたりを見渡すと、M60を担いだまま目にとまったバイク、VTR1000Fへと即座に跨がった。
キーはささったまま。
すぐさまエンジンをふかして発進する。
実は持ち主がそのバイクのすぐ目の前で呆然としていたのだが、高杉の目には入っていなかった。
「ふざけやがって…くそっ!」
惨状となっている道路をバイクでぬうように走りながら、高杉は悪態をついた。
みすみすと銀時を奪われたとことが悔しくて仕方なかった。
天人の手に銀時が渡ってしまったなど、最低最悪の事態ではないか。
車は大通りを外れて、森林公園のほうへと向かっているようだった。
あそこは広いだけで、隠れる所もない。
しかし、高杉の中で嫌な予感が渦巻き始める。
バイクのエンジン音、そして周りの喧噪に混じって聞こえてくるこの音は…
「マジでクソだな…!!」
公園の芝生の真ん中に鎮座するのは、高杉の予想通りヘリコプターだった。
縁石を乱暴に乗り越えて公園内にまで到達するが、ヘリコプターは丁度離陸するところ。
しかも、先ほどまで銀時の乗っていたはずの車からは、RPOロケットランチャーが再び高杉のほうへと向けられている。
高杉がバイクから飛び降りてM60を構えるも、無情にもヘリコプターはあっという間に上空へと飛び去ってしまった。
そうなってしまっては、高杉に為す術は無い。
高杉はもう一度大声で悪態をつくと、M60をその場に捨ててバイクへと再び跨がった。
何とかロケットランチャーの餌食にならずに公園から飛び出す。
今まで通ってきた道は、警察車両や救急車両でごった返していることだろう。
高杉は敢えて正反対の方角へとバイクを走らせながら、ぎりりと奥歯を噛み締めた。
「おい、坂本。銀時はヘリで連れて行かれた。方角は西だ。本部に連絡して、対策をとる」
『分かっちゅう。すまんのう、高杉』
「謝ンな。とりあえずヅラとも合流して本部戻るぞ」
今坂本がどんな顔をしているのか容易に想像できて、高杉は小さく溜息をついた。
おそらく、自分も負けないほど酷い顔をしていることだろう。
守りたいと思っていたのに。
守ると決めていたのに。
自分の弱さに反吐が出そうだ。
高杉はもう一度悪態をつくと、まずは桂と合流すべく、初めのホテル街へと向かった。
***
「んむ……ん……んぶっ…………っっっ!!ごぼっ!?」
銀時は、息苦しさに急速に意識を浮上させた。
激しく噎せ返りながら、自分が水の中にいるのだと知る。
しかし、体は床についており、そこまで深いところにはいないのは確か。
何とか顔を水面上に出そうと上半身を持ち上げると、あっけなく頭が水から出た。
「げほっ…ごほごほっ!!ん、だよ…げほっ」
途端に鼻腔いっぱいに広がる甘ったるい薔薇の香り。
わけが分からずにそろりと目を開ければ、自分が色とりどりの薔薇の花の浮かぶ湯船の中にいるのだということが分かった。
荒い息を整えながら状況を確認すれば、手首と足首がそれぞれまとめて拘束されている。
浮上の際に手を使えなかったのはこのためかと、まだぼんやりする頭で考える。
そして周囲を確認しようとして、後ろを振り返った瞬間、
「はっ?え!?」
銀時は思わず変な声を上げてしまった。
だって、気配などしなかった。
「てっ、てめっ…」
そこに居たのは、意識を失う前に窓から乗り込んできた男。
要するに、自分を気絶させた張本人である。
「やあ、おねーさん。目覚めの気分はどう?」
「どーもこーもサイテーだよ。何してくれちゃってんの、あんた」
銀時は上半身だけを捻った状態で、相手を睨み付けた。
ニコニコと、銀時からしたら酷い作り笑顔でこちらを見てくる男。
サーモンピンクの髪を後ろで一つにまとめ、三つ編みにして背中に流している。
その髪色は、銀時のよく知る会計課の後輩、神楽と酷似していた。
「いつも出来の悪い妹がお世話になってるね」
「……マジかよ」
似ているも何も、神楽の兄だった。
銀時はさりげなく周囲の様子も確認しながら、神楽の兄だという男を観察する。
神楽は宇宙から来た、戦闘民族夜兎。
ということも、漏れなくこの兄も夜兎なのだろう。
今の日本では、ターミナルから正式に入国し、審査を通過すれば、天人人間関係なく仕事に就くことができる。
神楽もその一例で、暴食と怪力なのを除けば地球人の女の子と何ら変わらない。
地球に、日本に溶け込んで慎ましく生活しているといえる。
「…で、あんたはいったい何やってんの、こんなところで」
「何って…つれないなぁ~。おねーさんのお世話だよ」
「風呂で溺れさせるのがあんたの世話なのか」
「そっちが勝手に溺れたんじゃん」
銀時はぐっと言葉に詰まる。
どうやら自分が溺れかけ、水をしたたか飲んだのは彼のせいではないらしい。
「寝てるおねーさんは、お人形さんみたいでとっても綺麗だったよ?」
「そりゃどーも。こちとらそれで商売してるんで」
実際に、赤、桃、白、黄、様々な色の薔薇に埋もれて眠る銀時はそれはそれは美しかったのだが、それは銀時の知る所ではない。
今は、剣呑な目つきで男を睨んでおり、人形らしさはかけらもない。
「つれないなぁ。こっちはおねーさんのこと、優しく丁寧に扱ってあげたっていうのに…」
「延髄に手刀が優しく丁寧…?後遺症残ったらどうしてくれんだよ」
「ふふ…そんなヘマはしないよ」
銀時は小さく溜息をついた。
目の前の男、へらへらしているようで全く隙が無い。
もし銀時が今風呂桶から飛び出そうとする素振りを見せれば、即座に押さえつけられるだろう。
分かりきっていることをやるほど銀時もアホではない。
そもそも両足首を一括りにされていては走れない。
「で、俺のこと綺麗に洗ってくれたのもあんたってか?」
「そうそう。おねーさんの体、ドロドロでくっさいんだもん。折角だから洗い係に志願しちゃった」
ドロドロだったのも臭かったのも、主に長官のせいなのだが、体が非常に汚かったのは事実なので、銀時は反論をぐっと飲み込んだ。
「おいおい、どこまで洗ったんだよ。なんか体中すーすーすんだけど」
「そりゃあ穴という穴すべて洗わせてもらったよ。楽しかったな~。おねーさんは意識なかったから覚えないだろうけど、一々反応返してくれてさ」
「……変態」
「どっちが?」
銀時は顔を顰めながらも、内心ほっとしていた。
この分だと、気づかれてはいない。
耳のカスタムIEMや、サファイアのネックレス、そしてご丁寧に奥歯の仕込み薬まで取り外されているが、あれだけは…
「だってさぁ~、窓から入ったとき長官見て俺びっくりしちゃったんだよ。予想以上のことされてたね」
「…長官は?」
「んー?放置だよ、放置!ケーサツが目の色変えて回収する姿が浮かぶよね!それともおねーさんの仲間がどうにかしたかな。まぁ、俺らの目的はおねーさんだから、長官がどうなろうが関係ないね」
銀時はぺらぺらとよく喋る神楽兄の話を聞きながら、頭の中を整理させる。
要するに、自分は長官という囮に捕まったということなのだろう。
そして、自分に仲間がいることも今回の件でバレてしまっている。
「…何?長官の持ち物に発信器でもついてた?」
「当たり~!」
最初から踊らされていたというわけか。
銀時は今度こそ大きく溜息をついた。
「…なんで俺が長官に仕掛けるって思ったわけ?」
「んー?長官のパソコンにハッキングされた跡があったみたいだからさ。おねーさんももしかしたら狙ってるかなって」
「……マジかよ。痕跡残ってた…?」
「さぁ?俺はよく分かんないや。まぁ、どっちにしろ、長官がおねーさんを手に入れた後に抜け駆けしないようにって、保険の意味合いもあったからね。んで、今回長官が当初の予定とは違うイレギュラーな動きをしたから、こっちも動かせてもらったってわけ」
「…へぇ」
「まぁ、一番びっくりしたのはおねーさんが意外と強かだったことだよね~。逃げ回ってるのかと思いきや、そっちから仕掛けてくるし」
銀時が体を張って入手しようとした以上の情報が、ぺらぺらと語られていく。
それに複雑な思いを抱きながらも、銀時は踏み込んで聞いてみることにした。
「で、俺を誘拐してこれからどうするつもり?」
「それは分からない。俺らの仕事はおねーさんを拉致監禁するところまでだから」
「拉致監禁って…」
「詳しくは分からないけど、この後は…商品になるんじゃない?ほら、おねーさんって昔いろんな人に飼われてたらしいじゃん。逃げられて、行方不明になって、その後も血眼でおねーさんを探してる人がたくさんいたみたいだから」
勿論今もね、と付け加えられる情報に、銀時は湯船に浸かっているのにも関わらず、体が冷えていくような気がした。
「ははっ、昔ならともかく、こんな年いっちまったおばさんになってもまだ欲しい奴がいるってか…物好きだねぇ…」
「…26歳だっけ?んー、でもおねーさんすごく綺麗だしね。絶対欲しい人いるよ、いっぱい」
それでなくてもアルビノだしね、と男は言う。
そう、自分はアルビノだ。
どうしてそんな天人からも狙われやすい自分が、内閣直属の非合法暗躍組織にいることができるのか。
―――――それは偏に自分が最高の囮となり得るからだ。
「………捕まえた気でいるかもしれないけど、逆かもよ?」
「ん?何て?」
「何にも~」
銀時は静かに笑むと、冷えた体を温めるように肩まで湯船に浸かり直した。
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