「京次郎、どお?」
「どう、言われても……何も言えんくらい綺麗じゃとしか…」
「ふふ、十分十分!」
銀時は、白地に青の大輪の牡丹が咲いた着物を見せつけるように、その場でくるりと回ってみせる。
背側の百合の絽二部式つけ帯まで綺麗に着付けられているのを見て、京次郎は感嘆の息をついた。
銀時がにこにこと機嫌良さげに京次郎の向かいへと腰を下ろせば、頭の横に付けられた白と水色のコサージュがしゃらりと涼しげな音を立てる。
決して豪奢なものではないのに、銀時が着るとそれだけで最上級の召し物となって銀時を引き立たせるから不思議だ。
「…悪いのぉ…少し挨拶するだけなのに、ここまで準備させて」
「いーのいーの。京次郎にふさわしい奥さんって、数秒で認識してもらわないと」
屋敷の中は、ざわざわと騒がしくなってきていた。
玄関から入ってくる招かれた相手方の組員たち、酒やお膳の用意をする下っ端の組員たち。
皆が皆、会合の会場である大広間に集まりつつあった。
「呼ばれたら出ればいいそうじゃ。それまでのんびりしちょけよ」
「せっかく綺麗に着付けたんだから、暇だからってエッチなことしないでね?」
「……おまんなぁ…」
京次郎は僅かに頬を染めて銀時を睨め付けた。
銀時はその反応に楽しそうに笑うと、腰を上げて京次郎の隣に座り直した。
そのまま京次郎の肩に頭を乗せるようにして寄りかかる。
「銀…離れに戻ったら、朝まで鍵掛けて籠もっちょれよ。わし以外の誰が訪ねてきても、絶対に開けるな」
「ずいぶん過保護だな」
「……言ったじゃろ。あんまり良い噂を聞かん奴らじゃ。わしがそばにおらん間に銀に何かあったらと思うたら気が気がじゃのうてのぅ」
「はいはい。優しい旦那さんをもって俺は幸せだなぁ…」
銀時は所在なさげな京次郎の手をとると、自身の指を絡める。
銀時よりも体温の高い京次郎の手から、ぬくもりと一緒に愛情も伝わってくるような気がして、銀時はこうして時々京次郎と手をつなぐ。
その度に京次郎が少しだけ恥ずかしそうに目をそらすのも好きだった。
(今日のターゲットは、俺…)
あれから桂や高杉たちから得た情報によれば、今回の会合は向こう側が強く要望したらしい。
互いの組同士の親睦を深める…などという体裁のよいことを並べ立てているが、向こうの一番の目的は、前回の結納式で興味を惹かれた銀時に、アプローチをかけること。
どのような方法でくるかは分からないが、京次郎が言ったように部屋に早々に引き上げるのは、おそらく難しいだろう。
わざわざ忠告までしてくれた沖田には申し訳ないが、はじめから餌になるつもりでここにいる。
前回のように攫われて売りに出されるようなことは勿論御免被りたいが、自分にできることはとことんやってやろうと、銀時は覚悟を決めて目を閉じた。
***
「先日も紹介させてもらったが、わしの嫁の、銀という。わし共々、よろしく頼む」
京次郎の声を受けて、銀時は綺麗な所作で畳に手をつき、ゆっくりと頭を下げた。
慎ましく、伏し目がちに、口元には笑みを。
それだけで、大広間に感嘆の息とざわめきが広がる。
「人が多いところが苦手な上に人見知りでの、酌もせずに早々と退出させてもらうかもしれんが、気を悪くしないでくれ」
銀時は座したまま京次郎の後ろまで下がると、ちらりと広間全体を見た。
予想通りに、多くの視線が銀時に集まっている。
その中で、酒や料理をもって忙しく動き回っている、女中の姿の桂を認めて、銀時は心の中でほっと息をついた。
銀時が無理をして何かをせずとも、この大広間内では桂がうまく情報を聞き出してくれることだろう。
女たちが酌をして回っている中、銀時はぴったりと京次郎に寄り添って、京次郎だけに酌をしていた。
新妻だから少し大目に見ようという視線と、京次郎を冷やかす視線、様々な視線は勿論受けていて気持ちのよいものではない。
しかし、京次郎が銀時を人見知りと紹介した以上、自分からぐいぐいいくのは躊躇われる。
このまま京次郎が言ったように早々に退出して、宴会からはみ出たものたちから情報を得るのが一番ベストに思われるが…
「いやぁ…いつ見ても本当に美しい奥さんですなぁ」
「…いや、本当にわしにはもったいない女です」
早速向こうの頭首がやってきて京次郎の向かいにどっかりと腰を下ろした。
銀時を舐め回すように見る不躾な視線に、京次郎は銀時を隠すように体をずらすが、頭首はそれをものともせずに銀時にグラスを押しつけて、酒をなみなみと注いだ。
銀時はそれを微笑んで受け取ると、静かに脇に置いて、少し前に出て頭首へと酒を注ぎ返す。
「いったいどこで知り合われたので?」
銀時はどう答えたものかと京次郎を盗み見た。
京次郎は僅かに引きつった笑みのままで、町で一目惚れしたと答える。
暴漢に襲われそうになっていたところを助けようとして逆に伸されたなどとは答えられるはずもないかと、銀時は京次郎に話を合わせるべく頷く。
「となると、カタギの人ですか。よく嫁入りしてくれましたねぇ」
「家柄など関係ありません。旦那様は、このような異形の私をとても大事にしてくれます。愛してくれます。理由なんてそれで十分でしょう」
あくまで柔らかく答えれば、相手は銀時がしゃべったことに驚いたらしい。
顔を輝かせて、調子に乗って銀時に詰め寄ってきた。
黙っていれば、目鼻立ちが整っていて肌の白い銀時は、まるで作り物の人形のようで、どこか近寄りがたいと囁かれる。
そんなことは今までに散々言われてきているから、手のひらを返したような頭首の行動にも、銀時は別段動揺することはなかった。
「異形だなんて…髪も肌も、地でこれなんでしょう?もはや芸術と言って良いほどの…」
「ちょっとあんた、やめなよ」
鼻息も荒く捲し立てる頭首と銀時の間に割って入ったのは、頭首の嫁だった。
後ろで緩く束ねた真っ黒で艶やかな髪に、同じく黒に大柄の百合が入った着物をさらりと着こなす、和風美人。
毒々しいほどの真っ赤な唇が、きゅっと弧を描いた。
「銀ちゃん…だったわよね?困ってるじゃない。まったく、これだから男は……あ、次期頭首さん、少し奥さんお借りしてもいいかしら?ここ男ばっかりで辟易してるの」
女同士で話がしたいわ、と、頭首嫁の艶のある流し目が銀時を捉える。
京次郎は躊躇うそぶりを見せたが、頭首嫁は京次郎の返事を待たずに銀時の手を取って立たせてしまう。
銀時は、大丈夫だと京次郎に視線を送ると、おとなしく部屋の隅へと頭首嫁に連れられた。
二人して腰を下ろすと、頭首嫁が銀時にも酒のグラスを持たせてくる。
二人でグラスの角を合わせて乾杯すると、頭首嫁はぐいっと思い切りよくグラスの中身を煽った。
「お互い、大変なところに嫁いじゃったわねぇ…」
相手に促されて、銀時も仕方なく酒に口を付ける。
極端に弱いわけではないが、アルコールを摂取すると体質上すぐに体が赤くなってしまうため、あまり人がたくさんいる中で飲みたくないのだが、今に限ってはどうしようもない。
「やっぱり、極道の妻って大変なんですか?」
差し障りのないところからと思って銀時は聞いてみるが、相手は大きく頷いてぺらぺらとしゃべり出す。
「そりゃぁねぇ……怪我人はしょっちゅう出るし、危ないこと平気でやるし、それに私自身堂々と外を歩けなくなったしねぇ…」
「……それなら、なぜあなたはこの道を選んだんですか?今、幸せですか…?」
それほどまでにあの男を愛したのか、それとも、政略結婚だったのか。
聞けば、ほんの一瞬だけ相手の目に不穏な色が浮かんだ。
「そりゃ、人生いろいろだからね、自分で道を選べないことだってある。私は親の借金の形にこの組に放られた口だけど、今じゃこうしてそれなりの地位も持てているし、不満はないよ。幸せかって聞かれたら難しいけどねぇ…」
「…そうですか」
銀時は自分のグラスを置いて、半分以上減った相手のグラスに酒を注ぐ。
相手はにんまりと笑うと、銀時のグラスにも酒を注ぎ返して、更に銀時に体を寄せてきた。
「あんたのほうはどうなんだい?稀な色男じゃないかい、あんたの旦那。それに大層大事にされてるみたいだ。うらやましいねぇ…」
「私は…幸せですよ。旦那様は……優しい、し……私自身を…愛して……くれる……」
「…あら、大丈夫銀ちゃん?酔っちゃった?」
「……大丈夫、です。奥様こそ…ずいぶんお顔が赤い、ですけど、少し別室で休まれます…?」
「……そうね、少しペースが速すぎたかもしれないわ。お言葉に甘えようかしら」
銀時のグラスも、相手のグラスも、日本酒をすでに三杯以上空けていた。
銀時の雪のように白かった肌は桜色を通り越して桃色に染まり、目もとろんと眠たげに蕩けている。
相手も銀時ほどではないが、頬と首筋から鎖骨の辺りまでがずいぶんと赤くなっていた。
銀時はグラスを倒さないようにゆっくりと立ち上がると、少し離れたところで相手頭首と話していた京次郎に、少し別室で休む旨を伝えた。
京次郎は銀時の状態に大層驚いたようで、銀時を離れに帰そうと立ち上がろうとしたが、銀時がそれをやんわりと断ったために渋々と元の姿勢に落ち着く。
もの言いたげに京次郎が見てくるが、銀時は頭首嫁を休ませたらすぐに離れに戻るからと、言い聞かせるようにして大広間から出た。
人が多く熱気の籠もった部屋内と違い、廊下はどこかひんやりとして、火照った身体にはちょうどよい。
灯りは勿論灯っているが、それでも薄暗い廊下を抜けて、布団が何組か敷かれた客間へと二人で足を踏み入れる。
「ここの布団、好きに使って良いから…」
部屋に入るなり頭首嫁から離れると、銀時は布団の上に眠たげに体を横たえる。
「ねぇ、銀ちゃん…」
「ん…」
銀時が気怠げに振り返れば、休みたいと言っていたはずの頭首嫁がすぐそばにまで迫っていた。
銀時が不思議そうに目を瞬かせれば、それに相変わらずのにんまりとした笑みを返す。
「苦しくない?帯、緩めてあげるわよ」
「……別に、だい、じょう…」
銀時の言葉を無視して、頭首嫁は銀時の帯締めを解き、帯揚げもするすると抜き取る。
帯と衿の合わせを大きく緩めれば、銀時の桃色に色づいた肌が大きく晒された。
いきなり外気に晒されたことに、びくりと震える銀時を、頭首嫁はうっとりとした表情で見下ろす。
「なんて綺麗な身体……最上級ランクね…」
服を乱したその手が、銀時の髪へと移り、柔らかい白銀の髪を何度も梳いた。
銀時がぼんやりとされるがままなのをよいことに、耳、頬、首、肩、鎖骨、胸、背中と、その手が滑り降りていく。
するすると肌触りを確かめるかのように動き回る手に、銀時はくすぐったそうに身体を震わせていたが、落ちそうな瞼のまま腕をゆるゆると伸ばした。
そのまま頭首嫁の身体に腕を回して、甘えるように縋り付く。
「……嬉し…もっと、褒めて…触って…?」
銀時はちろりと舌を出して、至近距離にあった頭首嫁の唇をぺろりと舐めた。
至近距離で、どろどろに蕩けた青玉色がゆっくりと瞬き、そのまま頭首嫁の真っ赤な唇に吸い付く。
「…んっ」
「…っ、はっ……、ふっ…ふふっ…可愛い…最高ね………」
唇を離した瞬間、頭首嫁が堪えきれないというように喉で笑い出した。
銀時の腕をつかんで身体ごと布団に押しつけ、馬乗りになると、少し息を乱して上気するその頬をゆるゆると撫でる。
銀時が全く無抵抗なのをいいことに、そのまま顔を寄せて濡れた唇を耳元へともっていく。
「可愛がってくれれば誰でもいいとか…ほんと…とんだ阿婆擦れ…!!いったいあなたはいくらになるのかしら…!!」
「……いく…ら?」
頭首嫁は銀時から顔を離すと、ギラギラと欲に眩んだ目で銀時を見下ろした。
「そう、あなたはこれから私たちに売られるのよ。さいっこう…!こんな良い物件滅多にお目にかかれるものじゃないわ!一千万はくだらない…!今頃あなたの旦那もお仲間さんも、大広間で眠りこけているんじゃないかしら…!」
勝利を確信していた頭首嫁は気づくことができなかった。
……銀時が目を細めて小さく喉で笑ったことを。
「…………言質とーった」
「え?」
瞬間、組み敷いていたはずの銀時が視界から消えて、頭首嫁は慌てて身体を起こした。
一瞬で手を振り解いて横に転がったのだと理解するのに、一秒もかからない。
頭首嫁は舌打ちすると、そのまま自身の着物の袖に手を差し込んで拳銃を取り出した。
しかし、その拳銃はセーフティを解除する間も与えられずに宙を舞い、体勢を立て直した銀時の手の中に収まる。
「お、『ピースメーカー』か。古風だねぇ。良い趣味してんじゃん」
コルト・シングル・アクション・アーミー。
アメリカの伝統的な回転式拳銃。
ただし…
「あんまり、実用的じゃないよなぁ…」
「ひっ!?」
銀時はそれをガンスピンさせると、そのまま銃口を頭首嫁の額へと押しつけた。
「どっ、どうして、どうして動けるの…!?あんたには猛獣も数分で眠る強力な睡眠薬を盛ったのに!!」
「…なんてもん盛ってくれてんの…おかげさまで頭くらくらするんだけど…」
銀時は大きく顔を顰めると、何の躊躇いもなく親指でセーフティを解除してトリガーを引いた。
真っ白な布団に、赤い血飛沫が咲き乱れる。
「聞いてた高杉?相手の組、殲滅しておっけー」
銀時は胸の谷間にコルトSAAを差し込んで立ち上がると、カスタムIEMを耳に押し込み直しながら部屋を出た。
頭首嫁は、大広間で魔死呂威組の連中が薬を盛られて寝ていると思い込んでいるようだったが、自分たちが薬を盛られる可能性は考えなかったらしい。
料理に、酒に、ありとあらゆる食事に、桂によって睡眠薬が仕込まれたいたというのに。
『あァ、俺とヅラで今から開始する。大広間はみんなアホみてェに寝こけてやがるぜ』
「そりゃあよかった…じゃあ俺は、残党狩りってことで」
『いや、大分強い薬盛られたンだろ?無理しなくていい』
「んー…分かった…じゃあ辰馬の車に戻るまでに誰かに会ったら、片付けるわ…」
桂が今回使用したような、普通の人間には絶大な効果を発揮する薬も、銀時にはほとんど効果がない。
薬物には異常なほど耐性がある銀時だからこそ、今自分の身体の異変に少なからず危機感を抱いていた。
頭首嫁が言っていたように、到底人間に使うものではないような薬を摂取してしまったらしい。
(売り物にする気あんのかよ、クソが)
銀時は心中で悪態をつきながら、ふらつく足を叱咤して廊下を進んでいく。
後始末は高杉たちに任せれば問題はない。
問題があるとすれば、自分が無事に坂本の元までたどり着けるかだった。
「おい、おまえ…!どこへ行く!!」
銀時がふらりと振り返れば、相手の組の男が三人。
おそらく、頭首嫁の元から銀時を回収に来た連中だろう。
宴会には参加していないので、勿論薬の回っていない正常な状態である。
状況は理解していなさそうだが、とりあえず銀時を確保しようと、屈強そうな男たちが三人とも走ってくる。
…このくらい、楽勝だ。
銀時は乱れに乱れた着物をはだけて、太ももにつけたホルスターからベレッタM92を抜くと、足先に力を込めて立ち、トリガーを引いた。
三発中三発が見事に三人の男のそれぞれの額に命中して、身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
ほっとしたのもつかの間、唐突な発砲音と共に、銀時の剥き出しの足に痛みが走った。
血相を変えた相手の組の男が、先ほどの男たちとは反対側から銀時を狙っていた。
やはり薬のせいで、いつものように気配を察知したり俊敏に動いたりすることができなくなっているらしい。
銀時は振り向きざまに発砲してきた男を撃ち殺すと、再び屋敷から出るべく足を進める。
足は出血しているものの、弾がかすっただけで動けないほどの怪我ではない。
屋敷内は、あちらこちらから発砲音が聞こえ始めていた。
大広間にいる人たちは、どうせ寝こけているのだから始末は後回しでかまわない。
薬を盛られなかった広間以外の組員たちが撃ち合っているということだろう。
もしくは高杉たちが一方的に始末をしているのか、である。
「っふ、……はっ…」
銀時は足を引きずりながら出会う残党たちを始末していく。
意外と多い敵の数に気が遠くなる思いがするが、ここで倒れてしまうわけにはいかない。
奥歯を噛み締めてなんとか猛烈な眠気と戦っていた銀時だったが、正面からの相手に鉛玉を撃ち込んだ後、耐えきれずに障子戸にもたれかかってしまった。
体勢を立て直そうと腕と足に力を込めた瞬間、後ろから近づいてきていた残党に足払いをかけられてしまいその場に崩れ落ちてしまう。
「このアマ…手間掛けさせやがって…!何なんだよいったい!!」
苛ついたように言う男に、おそらく麻酔銃の銃口を身体に押しつけられる。
身体は足下から痺れてきているようで、下半身で反撃するのは難しそうである。
まずいな、と思った瞬間、鈍い殴打音がして銃口を向けていた男がその場に崩れ落ちた。
「はっ、銀、銀っ…!無事か…!?」
「…京次郎?」
銀時は驚いて上半身を捻ってその人物を見上げた。
大広間で他の組員同様寝こけていると思っていた京次郎が、銀時の背後に立っていた。
「な、なんで……っていうか、血…」
見れば、京次郎の左腕から少なくない血が溢れ、黒い袴を更に濃く染めていた。
「身体の調子がおかしいと気づいてすぐ、な。眠気覚ましじゃ」
自分で撃ったという京次郎に、寝てろ馬鹿、と心の中で毒づく。
始末するのは相手の組のみ。
京次郎は今回のターゲットからは外れている。
大広間にいるのが一番助かる確率が高いというのに。
「仮眠室に行けば、向こうの嫁が血塗れで倒れとるし…おまえに何かあったんじゃないかと…」
「俺は…大丈夫だって…」
「全然大丈夫じゃなかったろうが」
「それは…」
「……とにかく、はよぅこの屋敷から出ろ。外のサツに保護してもらえ」
それだけ振り絞るように言うと、京次郎はその場に倒れ込んでしまった。
「ちょっ!?…あぁ、もう!」
こんなところに倒れていたら、残党に何をされるか分かったものではない。
銀時は痺れる足を叱咤して京次郎の腕を掴むと、障子戸を開けてずるずると部屋の中へと引きずる。
そのまま呻く京次郎を部屋内の押し入れの中に押し込めると、銀時はふらふらと廊下へと戻った。
足の痺れは大分酷くなってきており、もうまっすぐに歩くことも難しい。
もう誰にも会わないようにと強く願った銀時だったが、無情にも向こうから新たな残党が姿を現してしまった。
(最悪…)
足がもつれるのを止められず、その場に倒れた銀時に向かって、男たちが駆け寄ってくる。
やばいと本気で危機感を覚えた瞬間、続けざまに聞こえた発砲音と共に、男たちが雪崩れるようにして床へと倒れた。
(……高杉?)
「銀時さん!!」
違う。
自分を呼ぶ、高杉とは違う、少しトーンの高い、余裕のない声。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄ってきたのは、銀時が数時間前に追い返したはずの、沖田だった。
「なんで…?」
「なんでじゃないですよ。なんか騒ぎが起こってるみたいから来てみれば、銀時さん…足から血出てますし、酷い顔色だ…いったい何が…」
沖田はいろいろ聞きたそうな顔をしていたが、きゅっと口元を引き締めると、動けずにいる銀時を担ぎ上げた。
身体が急に浮いた銀時が驚いて悲鳴を上げるが、沖田はお構いなしに銀時を俵担ぎにしたまま走り出す。
さすが小柄でもSITのエースだとぼんやりと思うのもつかの間、一気に屋敷の裏口にまでたどり着いた沖田の前に、待ち構えていたように二人の男たちが立ちふさがっていた。
沖田が舌打ちするのをどこか遠くに聞きながら、銀時は最後の気力を振り絞って胸の谷間から引き抜いたコルトSAAを身体を捻って正面に向けた。
残りは五発。
装弾数が少ないのがこの拳銃の欠点だが、決して使えないわけではない。
銀時は、引き金を引いたまま、添え手側の手の平でハンマーを起こして連射した。
(ファニング!?)
耳の真横で銀時に発砲された沖田が、音に驚くと同時に銀時が行ったことに目を丸くした。
ファニングは連射性重視なので素人が行えば命中率は望めない。
しかし、銀時は一秒足らずで五発を見事に撃ちきり、しかも裏口に立ちふさがる男の手首と足首を確実に撃ち抜いていた。
男たちが声もなく地面へと倒れたことを確認した銀時が、ついに意識を手放したのか、ぐったりと沖田の肩に崩れ落ちる。
コルトSAAが地面に落ちる音を聞きながら、沖田は銀時を抱え直して裏口から外に飛び出した。
***
「…ん……んん?」
銀時はずきずきと痛む頭を押さえて寝返りを打った。
意識がはっきりしてきた途端、吐き気と足の痛みが容赦なく襲ってくる。
「……ぅ…」
反抗する瞼をゆっくりと押し上げながら、眼球へ差し込む光を甘んじて享受する。
目の奥がつんと痛んだが、ゆっくりと瞬きすればそれもすぐに治まった。
…どうやら、ずいぶんと気を失っていたらしい。
意識と共に、記憶もゆっくりと蘇ってくる。
あの後、屋敷からどうやって出たのだったか。
そもそも、出られたのだったか。
「……ここ、どこ…」
今の自分の状態がさっぱり分からない。
銀時は、まず視界に入る範囲で分かることから整理してみることにする。
丸いシーリングライトが埋め込まれた、白い天井。
少なくとも、隠れ家でも、BRASTER本部でもない。
自分が横たわるふかふかのベッドも、枕元のお洒落なスタンドライトも、見覚えのないものだった。
つまり、自分の知っている場所ではない。
坂本たちと合流できているのか。
それとも相手の組に捕まったのか。
はたまた、また商人に売り飛ばされたのか。
大分頭が頭が働くようになってきたところで、ガチャリとドアの開く音がして、銀時はようやく眼球以外を動かすことになった。
「あ、気づきましたか銀時さん」
「………え?」
声がしたほうに顔を向けてみれば、ほっとしたような顔をした沖田がいた。
上半身を起こして改めてぐるりと部屋全体を見渡せば、ツインのベッドに、沖田が開けたドアの向こうに洗面所、飲み物が入るだけの簡易冷蔵庫、簡易金庫、テレビ、壁にかけられた誰の作品かも分からない小さな絵画、そして部屋の隅に置かれた白い電話。
………ここは、どこかのホテル、だろうか。
「えぇえぇえええっっ!!」
(なんだ!どうして!こうなった!!)
敵に拉致されたわけでも、人身売買商人に売られたわけでもないことは幸いだった。
しかし、これは想像していなかった展開である。
叫び声を上げたことで頭がズキリと痛み、慌てて駆け寄ってくる沖田の前で、銀時は再び枕に顔を埋めることになった。
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